死といのちを見つめて 死と向き合って今を生きる
死は、日本では忌み嫌われてきました。日常「死」を話題にすることは、はばかられるのが常でした。しかし、そんな中でも、しばらく前から「デスエデュケーション」という言葉が知られるようになってきました。生と死について学び、尊厳ある人間としてふさわしい死を迎えるにはどうすべきかを考える「死の準備教育」です。
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西洋では古来、「メメントモリ(汝、死すべきことを覚えよ)」という格言が、思い上がりを戒める合い言葉のように使われてきたといわれます。日本で近年ブームになっている「終活」は、どちらかといえば「有終の美を飾る」という感性に近いかもしれません。いずれにせよ、共通するのは「死と向き合って生きる」ということです。「デスエデュケーション」を提唱した上智大学のアルフォンス・デーケン教授は、「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ」と言います。
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死に関わる書物として、葬儀のしきたりやマナーを解説する実用書は以前からありました。また「終活」本は、自分の晩年の身辺整理や生きた証しとして何をどう遺すかなどを教えてくれます。しかし、「死と向き合って生きる」のに必要なのは、葬儀や遺言ばかりではありません。超高齢社会を迎えた今、どのような晩年を過ごすのかは、誰もが考えておくべき課題となっているのです。
新刊『自分らしい葬儀【準備ガイド】』では、死の準備について、葬儀のあり方にまつわる記事はもとより、まず「介護」と「看取り」の問題から問いかけます。
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病院で死ぬことが当たり前になっている昨今、できるだけ最期まで自宅で暮らすにはどのような介護サービスが受けられるのか、家族が介護で燃え尽きないためにはどうしたらよいのか、看取りまで面倒を見てくれる老人ホームはあるのか、といったことはハード面のノウハウです。しかし、看取りや悲嘆ケアのあり方には死生観や人間観が深く関わるので、クリスチャンらしい納得のいく人生の締めくくりをするためには、高齢者施設を選ぶにしても、そこがどのような価値観に基づく理念や職員で運営されているのかで違ってきます。
また、日本人の三人に一人ががんで亡くなる現在、最期を過ごす場として「ホスピス」という選択肢を考えておくことも、いざというときに慌てなくて済むでしょう。ホスピス運動はその始まりから、死をすべての終わりではなく、永遠へとつながる希望の通過点と考えるキリスト教的な価値観とも通じる発想に根ざしています。
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本書には、実際に家族を施設型ホスピスや在宅ホスピスで看取った経験者の声が収録されています(ホスピス医の立場からの声は、本特集の別記事を参照)。幼い子どもがいる家庭で父親を在宅ホスピスで看取ったケースでは、子どもに父親の死にゆくさまを見せるのを躊躇したが、子どもたちもケアチームの一員として加えることで、かえって家族が前向きに立ち直れたという証言が、実際に体験した人からでなければ聞けない貴重な示唆を与えてくれます。
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そして、死を覚えて生きる聖書の知恵について、鎌野直人氏(関西聖書神学校学監)は旧約聖書の伝道者の書から、「死を覚えて今を生きる」という項で次のように書いています。「いつ死ぬかわからないが、必ず死ぬことはわかっています。だからこそ、神が今あなたに与えている賜物――喜び、祝宴、家族――を無駄にするな、それを味わい楽しみなさい、とコヘレトは訴えているのです。将来を予測できない、そして死を避けることができない世界だからこそ、この現実に適応するために『今を生きよ』、『時を生かせ』と」(八五頁)。 (本誌編集部)