【特集】日常語訳で神の言葉を読む 『リビングバイブル』全面改訂①
『リビングバイブル』が今春ついに全面改訂。聖書を「いつかは読みたい」と思っている方や、読み始めても続かない方、必見!
聖書に親しみ、福音に触れる
グレース宣教会 学園前グレースチャペル 牧師 大久保八城
「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10・17)
「日常訳は意訳が過ぎるので、聖書としてはふさわしくない」と『リビングバイブル』(以下LBと表記)に対して批判的な意見もあると聞きます。けれども、私はキリストの福音を一人でも多くの人に伝えるというクリスチャンに与えられた使命を考えるとき、特に若い人のために聖書を平易に語り直した本書が、今春全面改訂されて出版されることを、心からうれしく思っています。
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さて、今般のLB全面改訂版を通してさらに多くの人が聖書に親しみ、福音に触れていただくことを願い、私自身がこれまでどのようにLBを活用してきたかを記させていただきました。
第一番めは、初心者もしくは求道者の方との個人的な聖書の学びに用いるということです。
また、なぜLBなのか?というと、平易で読みやすく、難解な釈義をする必要があまりないからです。意訳ですから、読み進んでいくことによって意味が明らかになっていきます。また、「身近な言葉となって心に響く日常語訳」をモットーにしているので、キリスト教の専門用語になじみのない人にとっても最適です。
相手が特に若い人であれば、新約のマルコの福音書から学びを始めます。なぜマルコの福音書かといいますと、最初の表題に、「マルコの福音書(青年マルコの記録)」とあって、青年が親しみやすいからです。
マルコの福音書から始めるもう一つの理由は、ボリュームが適量だからです。聖書になじみのない初心者に分厚い分量の聖書を見せて、「さあ聖書を学びましょう!」と意気込んで言うと、相手は気おくれしてしまいます。その点、マルコの福音書は全部で十六章です。文章も軽快です。短い期間で学び終えることができます。キリストの福音のエッセンスを簡潔に伝えることができます。
原則的に一回の学びで一章ずつ学んでいくと、十六回で終えることができます。一回の学びは一時間程度で終わるようにします。学びの進め方としては、段落ごとに一緒に読み、あらかじめ用意しておいた質問(十問ぐらい)について意見を交換しながら答えを探っていきます。正解を出すことではなく、共に聖書を読んで、相手の方が、イエスはキリスト(救い主)であると分かるようになっていくことが目的であると忘れないことです。
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第二番めは、聖書全体の通読経験のない人への通読チャレンジとして推薦することです。その理由としては、?難解な用語や概念については説明が加えられているので理解しやすい文章になっていること。だから通読を続けやすい。?漢字にはすべてルビが振ってあるので、国語が苦手な人でも通読の妨げになることが少ないこと。?小見出し(表題)がつけられているので、通読したことが記憶に残りやすいことです。長い章でも全部読まなくても小見出しごとに読めるので、毎日読み続けることができ、挫折するリスクが少ないこと。
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第三番めは、説教の中での釈義の一助として用いるというものです。聖書の箇所によっては、解釈が翻訳によって異なる場合があります。そのようなときに複数の翻訳を参照しながら、釈義の基本原則を確認しつつ、なぜそれぞれの訳が異なるのかを検討し、理解を深めていきます。
例えばローマ人への手紙一二章一節の最後の部分。新改訳聖書が「これこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」と訳しているところです。新共同訳聖書は、「これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と訳し、口語訳聖書では「それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」となっています。原文では「礼拝」と訳されている言葉の前にギリシヤ語の「ロギコス」という一語のある文です。なぜこの違いが生まれるのか。
解釈の違いの原因は「ロギコス」という言葉をどう理解するかから生じています。この「ロギコス」という言葉は「ロゴス」に関係する言葉で、「熟慮した末に出す理性的、合理的結論」という意味合いがあります。このことを理解すれば、この箇所は次のように釈義することができます。「神の恵みを熟慮するなら、全的献身は理性的な結論である」と。
キリストの恵みが分かれば、キリストに献身するのは普通のことだとパウロは語っていると理解するのです。
さて、LBはどう意訳しているか。「神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。」言いえて妙!
しかし、残念ながら、献身はむりな注文だと勘違いしているクリスチャンが多いのでは?!