豊かな信仰を目ざして 第二回 わたしの神さまイメージはどこから?―人格形成の意味

河村 従彦

札幌で生まれ、東京で育つ。慶應義塾大学文学部卒業、フランス文学専攻。インマヌエル聖宣神学院卒業、牧師として配属される。アズベリー・セオロジカル・セミナリー修了、神学、宣教学専攻。牧会しながら、ルーテル学院大学大学院総合人間学研究科臨床心理学専攻修士課程修了。東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科人間科学専攻博士後期課程単位取得後退学。博士(人間科学)。現在はイムマヌエル聖宣神学院院長。牧師・臨床心理士。

動物は生まれてきてからそれほど時間を経ずにすぐ歩き始めるのに対して、人間は、歩くことができるようになるまでにほぼ一年かかります。ところが、他の動物にはない、一年早く生まれてくるこの期間が、人間形成にとって大きな意味があるのです。
その期間に他者とどのような関わりを持つかは大切で、母親から養護的な接し方をしてもらった人は、そのような温かい世界を描きながらその後の人生を送ると言われます。エリクソンは、子どもがこの時期に他者との関わりの中で構築する安心感みたいなものを「基本的信頼感」と呼び、その重要性を強調しました。
ところで、神さまをどのようなイメージで心の中に取り込んでいるかは、人によってかなり幅があります。「裁判官・王」という厳しいイメージで取り込んでいる人もあれば、「父・牧者」という肯定的なイメージで取り込んでいる人もあります。なぜこのような差が出るのでしょうか。
少し神学的に考えてみましょう。神さまは人間に「神のかたち」(イマゴ・デイ、God’s Image)を組み込まれました。神さまイメージの素材みたいなものと考えてください。ところで、他の動物にはない人間の生涯の最初の一年が、「神のかたち」がその後どのように育てられて行くかにまで影響を与えており、これが、神さまイメージの差になって出てくるのではないかということが諸外国の研究では示唆されていました。
それで、実際どうなのかを調べることにしました。方法は、教育や心理の世界で一般的に用いられている方法を採用しました。このような研究は、日本ではおそらく初めてだと思います。ご協力くださった方には本当に感謝しています。結果が出るか不安でしたが、その不安をよそに、分析からある程度のことが読み取れました。ここで誤解しないでいただきたいのは、これは分析に基づく傾向であって、あなたがどうかという問題ではないということです。そのことを踏まえていただいた上で、結果からわかったことを以下にいくつか取り上げます。
「自分のことを自分はこれでいいと受けとめることができる気持ち」のことを「自尊感情」といいます。神さまを厳しい存在としてイメージしている人は「自尊感情」が低くなる傾向があります。また、先ほど述べた「基本的信頼感」が安定している人は、肯定的な神さまイメージを取り込む傾向があります。
父・母が人格形成期に温かい接し方をしてくれたと感じている人は、親しい神さまイメージを取り込み、逆に支配したり、幼児扱いしたりするような接し方しかしてもらえなかったと感じている人は、厳しい神さまイメージを取り込む傾向があります。
人間が神さまを心の中に抱くのはいつ頃からかということについて、たとえばフロイトは父親との葛藤を経験するエディプス期(五~六歳ごろ)ではないかとし、リズートはもっと早い、母子関係が重要な意味を持つ生後一~二歳くらいではないかと考えました。今回の結果から見えたことは、人間は、クリスチャン・ホーム育ちであるかどうかに関係なく、リズートが提唱する時期から神さまを感じ始めており、母子関係が大切なその時期にそこそこ健康的な成長ができれば、肯定的で親しい神さまイメージを取り込むことが可能ではないかということです。人間の中に「神のかたち」が与えられていることが、調査結果には示唆されていました。
いくつかの結果をご紹介しました。生涯の最初の一年は、どういう神さまイメージを心の中に取り込むかということに影響を与えるようです。これは驚きであり、厳粛なことです。というのは、この時期は「神のかたち」が育てられ、親しい神さまイメージを抱きながら生きることができるようになる可能性を秘めたすばらしい期間だからです。もちろん負の影響を与えてしまうこともあり得ます。しかし、その大切な仕事を、神さまは不完全な「親」という立場の人間に託されたのですから、大変な責任ですが、そこまで人間を信頼してくださるのかという意味で、神さまの恵みはすごいなと思います。
このような話をすると、心配になる方もあるかもしれません。「自分の親は理想的でなかったから、自分の神さまイメージはネガティブだ」。実際、他人様に自慢できるような完璧な養育などありません。問題はその先です。神さまイメージは、一度刷り込まれると一生涯変わらないのではなく、その後変化し、さらに豊かにされることが可能です。どのように変えられていくのかについては改めて考えていきたいと思います。