時代を見る眼274 [1]『神の秘められた計画』福音の再考 途上での省察と証言を書いて

時代を見る眼274
四街道 惠泉塾
後藤敏夫

 

1966年、高校生のときにアメリカ人宣教師に導かれてクリスチャンになり、1976年に神学校を卒業して牧師になりました。首都圏を中心に35年の牧会生活を経て、2011年に牧師を辞し、北海道余市町の山間の生活共同体で5年間、心を病んだり、今の社会に生きづらさを感じる仲間とともにお百姓さん見習いのような暮らしをしました。今はそこから派遣されて、千葉県四街道市の住宅地で小さな共同生活を営んでいます。
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その間、日本の福音派教会は、時代の風に流され、流行の波にもまれながら、生み出すよりも消費するように、自覚的にというよりも地すべり的に変化しながら多様化してきたように思います。「教会成長」、「力志向」、「この世での成功」等々のバブルな波が引いた後の風景には、敬虔が押し流された荒んだものが残りました。今「福音派」という呼称には、ここかしこで社会的にはスキャンダルの臭いすら漂っています。
今は天におられる敬愛する恩師が、この時代の福音派の霊的風景を見たら何と仰るだろうとしきりに思います。私たちを導き、薫陶してくださった戦後第一世代の先生方は、熱心に福音伝道に励みながら、キリスト教界の中で、聖書信仰という福音派の正統性を守ることに力を注がれました。しかし、その時代の歩みをキリスト教と福音派の過去と将来につなげて、自省的に振り返り、まとめることなく、天に帰って行かれるように私には思われます。将来を見据えるには、時代の変化はあまりに急速、かつ不可測です。それは後の世代に託された務めなのでしょう。
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『神の秘められた計画』 (いのちのことば社)は、福音派キリスト者として戦後日本のひとつの時代を生きた、今に続く私のたどたどしい歩みのさま、証言であり、福音派の福音を再考した本です。ある読者の方が「自省録」と言われましたが、確かにそういう性格の本でもあります。ただその自省は私たちの将来のためのものです。豊かさの中で深く病んだこの時代と社会で福音を証しするために、教会がキリストの愛に根ざし、この世の価値観に対峙して生きる愛の共同体にされることを願って、私は現在の自分の生活現場にあってこの本を書きました。