特集 魂の詩人――八木重吉の世界 現代人が忘れたもの

「空気を読める人」。これは褒め言葉だろうか。「空気を読めない人」は「KY」と言われ、明らかに悪口として使われる。
現代人はこうして、空気を読みながら自分の感情に蓋をし、悲しみも苦しみも口にしないことが美徳とされ、うれしいことや楽しいことさえも、「リア充」(リアル=現実が充実していることを指すネット用語)アピールだと思われたくないと隠すようになってしまったのではないか。
正しいと思うことを正しいとさえ言えず、「大きな声」にいつの間にか流されてはいないだろうか。

重吉の詩は、素直だ。自然を見、故郷を思い、恋人を思い、子どもを思い、心震わせる。
おそらく、誰かをうならそうだとか、認めさせようだなんて、考えていなかったのではないだろうか。ただ、自分の心が感じたそのままを、文字にする。推敲を重ねた後はいくつも見られるが、技巧に走ったり、華美に装飾されていくのではなく、むしろ極限までそぎ落とし、自分の心が感じたその場所に戻ろうとしているように思える。
だからだろうか、彼の詩は自分さえ気づかぬ自分の心の代弁をしてくれているような感覚にさえなるのだ。

重吉は二十九年という短い生涯を生き抜いた。学生時代に親友を突然の病で亡くし、自らも死の病に罹った。常に死と隣り合わせだった。
しかし、最後の最後まで詩を書き続けた。そうして書かれた詩は命も死もどこか希薄に感じられる現代において稀有な存在であり、生きるとは何なのか、命とは何なのかと、問いかけているようにも思える。
重吉が天国へと旅立って九十年経つ。こんな時代だからこそ、現代人が忘れてしまった何かを、重吉の生涯と詩から探す旅に出かけてみてはいかがだろうか。(フォレストブックス編集部)