リレー連載 ことばのちから 第2回 「ことば」をたべる
美馬 里彩(みま・りさ)
関西学院大学社会学部社会福祉学科卒。社会人経験を経て、現在、大阪教育大学大学院在学中。
キヨさん(仮名)は、福島県の復興住宅にひとりでお住まいの七十代の女性です。東日本大震災の津波でご家族三名を亡くされ、その一人は小学校一年生のお孫さんでした。私とキヨさんとの出会いは、それから六年経ってからのことでした。
二〇一七年の春、私はキヨさんのもとを訪ねました。キヨさんは、私の訪問を楽しみにしていたご様子で、玄関から外へ出て待っていてくださいました。そしてお部屋に入り、しばらくして、溢れ出す辛い思いをお話しくださいました。私はただ、そのお話に耳を傾けることしかできません。想像を絶する内容に、私は涙すら出てきませんでした。
キヨさんは何度も何度もお話の中で、涙いっぱいに「もう、いっか……」とのことばを発せられました。それは、“愛する孫のところに行きたい。生きていても意味が見つからない”という絶望に満ちたことばにも聞こえました。まもなく近くに引っ越して来る予定だった親しいお友だちが、少し前にご自宅で急死されたという知らせも、キヨさんに希望を失わせるほどの痛みと大きな悲しみを与えたのだと思います。私はお話を聴きながら、自分には励ましや慰めのことばも発することができず、ただ横にいるだけでした。
二時間ほど経ってからでしょうか。キヨさんがふと立ち上がり、お孫さんの写真集を持ってこられました。それは、息子さん、つまりお孫さんのお父さまが、泥の中から発見したアルバムの写真を洗い、写真集として出されたものでした。写真のあちこちに津波の痕跡が残っています。それを私に見せながら、キヨさんがこう語られました。
「いろいろあったけれども、私がまだ生かされているというのは、やるべきことがあるのかなあ……」
その後、いっしょにその写真集を一枚一枚見ていきました。キヨさんはその間、お孫さんとの大切な思い出を、幸せに満ちた目でお話ししてくださいました。「ひまわりのように、かわいい笑顔ですね」と私がお話しすると、キヨさんもにっこり。その数か月前に、津波で流された大熊町の実家近くからお孫さんの遺骨がようやく見つかったということも話してくださいました。
しばらくして、私は一編の詩をキヨさんに読みました。一節ずつ、ゆっくりと。
たった一度でいい もう一度会いたい
わたしの大好きなあなたに
あなたの優しい声を聞きたくって
あなたの笑顔に会いたくって
「ありがとう」と伝えたくって
「大好きだよ」と伝えたくって
「また会おうね」と言いたくって
「さようなら」と言いたくって
「心ではずっと一緒だよ」と言いたくって
「これからもがんばるからね」と言いたくって
どの願いももう叶わないね
でもね こうお祈りしているよ
「もう一度 大好きなあなたに会えますように」
ほら さくらのつぼみがふくらみ始めたよ
冬にはすべての葉を失ったのに
もう一度 花を咲かせようと
さくらは「さくらのいのち」を生きているよ
わたしも「わたしのいのち」を生きるよ
大好きなあなたに「もう一度会える」と胸に抱いて
キヨさんは、私の口から出ることば一つひとつをたべるようにして、涙を流しつつ聴いてくださいました。それは私にとって心震える時でした。自分の綴ったことばがだれかの心に深く響き渡るということを初めて経験しました。
大阪に住む私は、東日本大震災の様子をテレビや新聞を通してしか知ることができませんでした。そんな時、赤ちゃんを津波で流され、まだ発見されず、お母さんが涙を流している映像がテレビに映されていました。その方のことを想い、また、まだ家族が見つかっていない人たちのことに思いを馳せ、祈る気持ちで、この詩を綴りました。
一つの詩をことばで伝えることによって、キヨさんと目に見えない世界で繋がれたように感じました。そして、「ことば」をありのまま受け取ってもらったときの感動は、はかり知れないものがあり、そんな時、私は「ことば」が「人と人」との間で「生きている」と感じるのです。
悲しみの中にあるキヨさんのお力に少しでもなれたらと思い、お訪ねしたものの、私のほうがキヨさんに励まされ、生きる力をいただきました。キヨさんから私は、「ことば」はたべるものであり、それほどに大切なものであることを教えられました。イエス様のことばが心に響いてきます。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(マタイの福音書4章4節)。