試聴CD 現代の教会の危機、その中での榎本先生説教CDの意義

「ちいろば牧師榎保郎説教集 CDで聴く新約聖書一日一章」普及版 ソフトケース入り
38,000円+税
→特価36,000円+税
●普及版+1(CDと本セット)
39,300円+税
→特価37,000円+税
(2018年12月末まで)
制作・販売元 ライフ・クリエイション
TEL.03-5341-6927
*CDセットに+「聴くこと祈ること」(没後40年。ちいろば牧師が最後に残した言葉の初の単行本)をお付けいたします。

キリスト教放送局日本FEBC 統括ディレクター補佐 長倉崇宣

「本当に神様に圧倒された経験―十字架を議論で納得するのではなくて、『あの十字架は私の罪の贖いとなったんだ』という経験。信仰とは、そういう原体験がなければ、ただ議論を楽しんでいるだけかもしれません。今の教会が、どんなに現代の問題に関わっているだのなんじゃの言っていても、それでは単なる暇人の仕事になってしまうんです」

「単なる暇人の仕事」―教会に対する歯に衣着せぬ榎本節。現代の教会から失われつつあるものをキリスト者が根源的に必要としていることは、教派を超えて長きにわたり、その著書が読み継がれてきたことが証明しています。しかも、CDでその息遣いに再び触れられる朗報に接し、この三月までその一部を放送してきた私どもFEBCにとっても大きな励ましとなりました。
榎本先生の説教の魅力。それは、説教がなぜ主日の礼拝で多様な説教者によって語らなければならないのかを証します。つまり、説教は正しい聖書理解の指南や教義の説明でも、ましてや倫理的教えでもなく、存在を賭けた神のいのちの交わりへの参与だからであり、ここに説教者が教会に立てられている理由があります。だからこそ、その欠乏は信仰共同体である教会に霊的な飢餓となるのです。ことにプロテスタント教会にとっては。ここに、未曾有の高齢化を迎える日本の教会が、社会の諸問題と関わりながら信仰共同体としてどう生きるかの深い示唆があります。
誰にも媚びず、真っ直ぐに福音を語る。その背後にある、榎本先生の主イエスとの真剣勝負。しかも、今回CDによってその息遣いまで感じられます。文字にはならぬものを読み取ることは、説教の本来的な意味でしょう。しかも、そこで打ち負かされるのは説教者自身。十字架の主に圧倒され、主イエスの鼓動、その息遣いを説教者が伝えるとき、教会をして真のリバイバルに生きさせてくださるといえましょう。この信仰を後の世代に伝えることに、私たちの生き方が問われています。