特集 いま、教会にとって必要なもの 愛する神の家族と共に心の園を耕す喜び
保守バプテスト同盟 仙台聖書バプテスト教会 牧師 鈴木 茂
肉体の成長期に、さまざまな変化とともに成長痛が起きるように、私たちの内面にも成長痛に似た痛みが出ることがあります。この種の痛みは成長の過程の中で必然的に起きるものだと思います。『情緒的に健康な教会をめざして』と『情緒的に健康なリーダー・信徒をめざして』を執筆されたスキャゼロ師は、四回の回心を通して新しくされたようです。
私も十八年前に痛みを通して、次の段階への回心をしました。神は私に、心の同伴者や霊性に関する講義や本との出会いを与えてくださいました。スキャゼロ師の本は特に、過去や闇と向き合い始めていた私にとっては、自分を深く知るための助けになりました。避けてきた闇(傷、未処理の感情、恥ずかしい記憶)が、私の言動に影響を及ぼしていることを家族関係の中で気づかされるようにもなりました。
知性を真理によって養えば成長すると思っていましたが、聖霊の働きの中で情緒も養われ(再教育)、また癒やされなければ(再形成)霊的に成熟できないこともわかるようになりました。「情緒が変わっていなければその人が変わったことにはならない」と語られたジェームズ・フーストン教授の言葉が心に響くようになりました。
私は、「キリストにある人格形成」が最も大切なみこころであると確信しています。ですから、教会でも霊性形成に意識的に取り組んでいます。その一つの手段として『情緒的に健康な教会をめざして』や霊性形成に関する本などを使って学ぶ機会を定期的にもっています。礼拝やさまざまな学びの集会でも「怒りの感情の管理」、「悲しみと慰め」、「弱さの大切さ」について話したりします。また集会などでは、小グループに分かれて、大切な事柄や気づいたことなどについて分かち合ったりします。「自分について(自分史)」語り、また聴いてもらうことで人は癒やされるからです。私たちは「心の取り組み」を継続する中で、確かに深いところから回復が始まっていることを体験できるようになっています。
兄弟姉妹たちが「心の取り組み」を通して味わっている変化とその喜びを分かち合ってくださいました。
以下に、その一部を紹介させていただきます。
*傷は潜在意識の中に深く沈んでいるが、心に漂う感情を探っていくことにより、神のことばに具体的に助けられるようになり、また家族に対する自分の言動について深く考えられるようになった。
*長い間、外側でクリスチャン的に生きていても、心の現実は何も変わりませんでしたが、心と向き合うことにより、癒やしと解放を体験しています。
*信仰の成長の過程で、心の痛み、苦しみがイエスさまの癒やしによって、一皮一皮脱皮していくことがわかります。
*自分では抑制できない心と向き合うということは、一切の雑念を捨てて神と向き合うことにほかならない。心を見つめることが、神さまのみこころを探ることになる、ということがわかるようになりました。
*過去の傷や痛みなどを聴いて祈っていただき、重荷を降ろせました。また、自分自身とも和解し、罪や傷、痛み、不安や怒りなどと向き合えるようになり、また信仰の仲間と分かち合い、祈り合えるようになりました。
*潜在意識の中に埋没している傷、負の感情が癒やされ、心が聖められることによって聖霊が働きやすくなり、遠かった神が身近に感じられるようになった。
*恐れ、不安、怒り、不満などの感情をごまかさずに正直に見られるようになってきた。以前は、これらの感情に支配されて不自由でした。心の取り組みを通して、神ご自身の美しい姿を映し出すことができる存在に変えられていくのだと思います。
*どこまでも根深い罪の根っこを切らないように一生掘り続けることによって、いのちの泉を味わい、生かしていただけることを信じています。
*霊性の取り組みは、福音と、イエス・キリストの生ける交わりであることに気づかされました。体験的に福音の世界に生かされていることになります。
*自分を深く知ることができ、自分の心の傾向性がわかることで、人間関係で無駄に傷つかなくなりました。
*物事に気づかされたとき、素直にその声に耳を傾けられるようになり、改めるべき箇所に取り組んだり、小さなことでも感謝をしたりすることができるようになった気がします。
*反応的な生き方から心の奥底にある闇を神の光にあてイエスと向き合い続けることで、束縛からの解放と神に深く愛されている事実と安心感が、 神との関係を深めてくれます。それに伴い教会の動きを神の視点でとらえ、必要な助けもできるようになります。
*神さまは子どもの頃の傷に触れてくださり、泣けなかった自分を子どものように泣ける自分へと回復させてくださいました。情緒的な不健全さは、不健全な信仰と結びついてしまうことを知りました。
*生きるということが本当の意味でわかるようになり、今、肉に生きているのか、霊に生きているのか、少しずつ自分の現実に気づき、取り組めるようになってきた。
*以前はクリスチャンだから「いつも喜んで」いなければと思い込んでいた。特に「怒り」についての学びを通して、自分の心(感情)と向き合うことの大切さを知った。悲しいことを心から悲しみ、苦しいことを苦しいと言う。自分の心に正直になることを少しずつ練習していくことで、「喜び」を本当の喜びとして味わえるようになっていった。
神が創造的に働かれているキリストの身体である共同体の中で、共に癒やされ成長し、この喜びをより多くの方々と分かち合うことが私たちの願いです。