けっこうフツーです―筋ジスのボクが見た景色 第3回 地域でどんな暮らしをしているの?

黒田良孝
(くろだ・よしたか)
1974年福井県生まれ。千葉県在住。幼少の頃に筋ジストロフィー症の診断を受ける。国際基督教大学卒。障害当事者として、大学などで講演活動や執筆活動を行っている。千葉市で開催された障害者と健常者が共に歩く「車いすウォーク」の発案者でもある。

私は時々重度障害者としての経験を生かして、大学や専門学校で授業をしたり、介護ヘルパー研修の講師をさせていただいたりします。介護や医療の仕事を志す方の人材育成の一部を担わせていただくのですが、私は介護や看護の専門家ではないので、サービス利用者の立場で話をします。
受講生との質疑応答をすることもありますが、授業の感想として頻繁に出てくる発言で、不可解だなと思うことがあります。もうすぐ卒業を迎える看護学生や、すでに仕事に就いているヘルパーが、今まで人工呼吸器を目にしたことがないとか、気管切開をした患者が発声したり普通に食事がとれたりするとは知らなかった、と言うのです。介護の職に就くにしても看護の職に就くにしても、対象者である利用者や患者と接してみなければわからないことだらけです。しかし、彼らは直接関わる機会が少なく、体験としての知識が乏しいようです。おそらく日本の教育システムに問題があるのでしょう。
ですから、私は重度障害者が地域でどのような暮らしを営んでいるかを写真やビデオを用いて詳しく見てもらいます。授業の中で最も強調したいのは、障害があっても、たとえ病の床にあっても、皆さんと変わらない普通の暮らしをしているということです。「支援する」というと「この人のために何かをしてあげたい」と構えてしまいがちですが、「自分たちと同じように生活ができるようお手伝いをする」ぐらいの感覚のほうが私たちはありがたいのです。支援者が支援すべきは人であり、個々人の暮らしです。つまり、支援する側と支援される側は同じ価値観をもっているという認識で関わることが大事だと思います。気管切開をしているとか人工呼吸器を着けているというと特別だと思いがちですが、求めている生活は皆さんとそれほど変わりません。

グループホームで暮らしているというと、必ずと言ってよいほど「消灯は何時ですか?」と「門限は何時ですか?」という質問をされます。特に福祉や介護に関わる人は気になるようですが、私が住んでいるグループホームではそのどちらも規則としてはありません。時間をどう使うかは利用者の自由で、起床や就寝の時間は生活のリズムなので試行錯誤の中でおのずと決まっていくものです。スケジュールが生活を縛るのではなく、何をやりたいかが生活を規定していきます。どんな障害があっても、どう生きるのか、何を選択するのかは自分自身で決めるのが最良だと思います。

私には一日二交代でマンツーマンのヘルパーがついていますが、基本的に私が決めるスケジュールで支援します。朝はスマホの目覚ましで起きて身支度を調え、食事をとり、歯磨きや洗面等を済ませ、その日の活動を始めます。活動も日によって異なるので一概には言えませんが、グループホームの部屋にいる日と外出する日の二つに大別できるでしょうか。部屋にいる日は看護や入浴など訪問系のサービスを受けて身体のメンテナンスをしたり、洗濯をしたり、冷蔵庫チェックをしてネットスーパーの注文をしたり、作り置きのものも含めて調理をしてもらったり、普通の一人暮らしの方や主婦のようなことをして過ごします。外出は講演などの仕事だったり、映画やショッピングだったりといろいろです。

よく驚かれるのですが、私は普段外出するときは、なるべく電車やバスなどの公共交通機関を使うように心がけています。door to doorで済む介護タクシーは雨の日などは助かりますが、外に出かけたという実感はあまりありません。人工呼吸器を装着しての外出はもちろんリスクもありますが、季節の移り変わりを感じ、日差しの暖かさや風の冷たさを感じられる喜びには代えられません。年齢的なこともあるかもしれませんが、障害が重くなりベッドにいる時間が長くなってから、街中にいても植物などが目にとまるようになりました。私も神様の恵みの中で生かされています。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3・11)