野の草を見つめながら 第11回 弱さのうちに現れる強さ
野の草を見つめながら 第11回 弱さのうちに現れる強さ
フォトグラファー 市川五月
秋の夕暮れ時がとても好きです。
この日は、カメラを片手に近所を散歩しながら歩くと心地よい風が吹いて、少しセンチメンタルな気持ちになりました。
草花はずっと永遠に咲いているように見えますが、いつかは枯れ、永遠はないのだと思わされます。
「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:8)という聖書のことばは本当にそのとおりで、いつまでも変わらないお方は神様だけなのだということに希望をもつことができます。
日が暮れて、枯れゆく草花を見ていても、神様の御業に目を留められることは幸いです。
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「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリント12:9)
私たちが日に日に弱っていっても、神様の強さは変わらず、むしろ私たちの弱さのうちに現れてくださるという約束はなんという励ましでしょうか。
弱った時ばかり神様に頼ってしまう人間ですが、パウロもそれを知っているからこそ、無力であればあるほど神様に頼ることができるということがわかったのだと思います。自分の弱さを知っている人ほど、強いということですね。
この秋はそんな自分の弱さをとことん知りつつ、もっともっと偉大な神様に用いてもらいたいと願っています。
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「そのつど返ってくる答えは、こうでした。『いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。』だから今では、私は自分の弱さを喜んで誇ります。自分の力や才能を見せびらかすためではなく、喜んでキリストの証人になりたいからです。すべてはキリストのためであることを知っているので、その『とげ』も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。―無力であればあるほど、それだけ、キリストによりすがるようになるからです。」
(Ⅱコリント12:9―10、リビングバイブル)