306 時代を見る眼 追悼・ペシャワール会 中村哲医師

特別寄稿 小さな巨人

西南学院小学校 前校長/西南学院中学・高等学校 元校長 和佐野健吾

 

私と中村君は、西南学院中学校時代の同級生だった。クラスでは「中村君」とは呼ばす、「哲ちゃん」と呼んでいた。彼は小柄でおとなしく、読書好きな勉強家、いわゆる優等生で、褒められたりすると顔を赤くして恥ずかしがる純朴さを持っていた。

ブラジルに住む同級生は、彼の死を知って、授業中の思い出をメールで伝えてきた。「質問にみんなが困ると、担任でもあった早田先生は、いつも哲ちゃんを指名していたことを思い出したよ」という内容だった。

哲ちゃんは3年次に、香住ケ丘バプテスト教会(当時は香椎伝道所)で洗礼を受けた。その教会の牧師であり、60年来親交のあった藤井健児牧師とは、社会問題や政治について何時間も語り合ったことを聞いた。当時から、社会問題に興味があったのがわかる。

卒業後、12年ぶりに同窓会で会った時のこと。哲ちゃんは元気がなく、疲れて悩んでいるように感じた。おそらく、医師としてこれでいいのかと自問自答していたのだと思う。その後、福岡の山岳会から依頼を受け、山と蝶が好きな彼は専属医師としてティリチミールへ行った。出会った現地の人々の生活を見て感ずるところがあり、その後、何度も足を運んだ。そして、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の派遣医師として、ハンセン病の治療のためにペシャワールに赴いた。

普通の医師とは違うその才能は、すぐに発揮された。足の傷を防ぐために古タイヤからのサンダル製造。それは対症療法ではなく、原因療法だった。これが後に、きれいな水があれば病気は防げると井戸を掘り、干ばつで乾ききった大地に用水路を通して作物を作ることができれば家族が仲良く暮らせる、といった彼の活動の基になった。

講演や著書の中で「野の花を見よ」と彼は言う。神からの恵みを常に感謝するアフガンの人々の生き方に、自らの考え方や生き方が合致していたのではないかと思っている。著書で、「現地30年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです」と記す。彼は、数々の事業は神の恵みと人々のまごころによって行われること、人々と共に歩むことの大切さを教えた。また、西南学院での講演でも、生徒たちに「己の分限を知り、誠実であれ」と語った。

古い日本の文化を尊重する哲ちゃんは、他国の文化を尊重し、隣人愛を貫き通した小さな巨人であり、われらの英雄である。