今、海外宣教を問う 受ける教会から与える教会へ

今、海外宣教を問う
斎藤 和彦
ペルー宣教師田口吉元を支える会 理事 事務局長
保守バプテスト同盟 湯沢聖書バプテスト教会 牧師

田口宣教師の派遣

 私たちの教会の開拓と設立は、米国コンサバティブ・バプテスト・ミッションを通して派遣された六人の女性宣教師と一組の宣教師ご夫妻の、犠牲的で熱情あふれる働きによっている。宣教団の奥地伝道(インランド・ミッション)のスピリットと言えども、雪国の秋田で、しかも多くの女性宣教師が、よくぞ種蒔きのわざを頑張ってくださったと感謝している。そこに一地方教会への神の愛を思うと同時に、この神の愛に熱く応え、日本の片田舎の教会であっても、海外宣教に貢献していかなければと願っている。そこで当教会の二十一世紀の宣教ビジョンは、「天の星のように栄え、救いの光を地の果てまでに」である。

 さて、当教会が田口吉元宣教師ご夫妻を派遣し、支えてきたこれまでの経緯を簡単にご紹介しよう。田口師は、当教会の設立後、日本人初代牧師として1966年に迎えられた。1975年に海外電波宣教師としての召命を受けておられることを表明。翌年、礼拝人口二十数名の小さな群れは、日本の反対側エクアドルに宣教師を派遣することとなる。

 そして1981年、田口師はペルー宣教師に転向される。そして首都リマ市において、主に日系人十万人を対象に宣教活動に従事され、ペルー唯一の日系プロテスタント教会「日秘福音教会」を組織し、会堂建設と現地牧師養成の二大ビジョンを達成され、現在に至っている。

支える会の働き

 支える会は1975年に組織された。その働きは支援、協力であって、拘束、支配ではない。現地決定の優位性を受けとめていくフェイス・ミッションが基盤としてある。理事の定員は現在七名で、年二、三回理事会を開催している。特徴的なのは、現理事の三名が、当教会の歴代牧師であるということである。この霊脈はすばらしい。

 当教会は事務局として、会計事務、隔月のニュース発行、宣教師との連絡事務を行っている。また宣教師がデプテーションで一時帰国の際、住居や車を用意する。支援の祈りは祈祷会だけでなく、礼拝の中でも毎週行っている。

 ところで、私たち事務局がハラハラドキドキさせられること、それは宣教師の身に危険が迫ることである。ペルーは治安があまり良くないのだ。1996年、田口宣教師がペルー日本国大使公邸人質事件に遭遇された時は、皆で祈らされた。あるいは正直な話、経済的な必要が満たされないときもある。月額四十万円の必要が献金によって満たされなければならないのだ。 またワクワクドキドキしたことは、先に述べた二大ビジョンの達成である。だがそれで終わりではない。日秘福音教会は、田口師に続く協力宣教師を必要としている。次期宣教師が起こされるための祈りが捧げられ、今、それが現実になろうとしている。

 奇しくも今年はペルー宣教二十周年の年である。支える会では、ペルー宣教二十周年の恵みを覚え、記念式典参加ツアーを11月に企画している。もちろんこのツアーには魅力的な観光も含まれている。ぜひあなたもどうぞ!

私たちができること

 では最後に、私たちが海外宣教のためにできることを考えてみよう。この「できる」ということの前にまず意識の変革が必要である。私たちは普通、海外宣教どころか、まだまだ足元が大切であると思ってしまう。たとえば日本から見ればペルーは決して足元ではない。地球の反対側の遠い地である。しかし無限の存在の神から見れば、すべての地が足元ともいえる。

 また海外宣教という表現から考えると、日本から見ればペルーは海外である。しかし無限の存在から見れば内も外もない。すべてが国内といえる。神にとってはすべての地に住む人々が慕わしい存在であり、神はそれらのひとりでも滅びることを望んではおられない(2ペテロ3:9)。だから海外宣教は大切だというよりも、それは教会の当然のミニストリーであるという受けとめが必要ではないだろうか。また当教会のように宣教師の働きによって生み出された教会は、「受ける教会から与える教会へ」というスピリットで、海外宣教に携わる責任があるのだ。あなたの教会は、はたしてどうだろうか?

 最後に具体的な提言を述べてみたい。教会のビジョン、責任としては(1)教会が宣教師を送り出すというビジョンをもつ(2)ビジョンが実現するのなら、教会に事務所を置く(3)宣教師一時帰国後の住居、車、通信機器(パソコン、携帯電話)などを準備する(4)教会が宣教師を支える(祈り、献金、物資)。

 個人でできることは(1)現地の情報収集、視察(2)祈りの支援(できれば毎日)(3)献金(特に重荷のある地のために祈っているのならば、献金は祈りとメビウスの輪のような関係としてとらえなければ!)(4)デプテーションなどの集会に出かける(5)そして、あなた自身が宣教師に、あるいは支える働きに!