~Daily Light~ 第7回 過ぎゆく日の前に

石居麻耶 Maya Ishii

千葉県出身。アーティスト。画家。イラストレーター。東京藝術大学大学院美術学部デザイン専攻描画造形研究室修了。
大学卒業後の個展やグループ展等の展覧会やホームページ、ブログで発表した作品をきっかけに本の装画、週刊誌、文芸誌、新聞連載のイラストなどの仕事を担当。

 

気がついたら、家の前のツツジが花を散らしたあと、表札を隠すほど枝葉を伸ばしていたことがありました。剪定しようと思い、調べたら、ツツジは夏、花が咲き終わったあとすぐに剪定する、とありました。夏に枝が分かれて次の花の準備が始まるので、夏以降に切ってしまうと翌年花が咲かなくなるそうです。

「わかった」と簡単に言ってしまうと、そのことについて深く考えなくなるような気がして簡単に言わないようにと思うのですが、大切な人の気持ちを考えたときには思わず「その気持ち、わかるよ」と言いたくなります。そして、路地裏に迷い込んだように言葉を見失うことも。

でも、いろいろと考えてそれでも「わかる」に辿り着いたときにはそれしかないと思いますし、「わかる」とひとこと言われて胸が軽くなることはあります。口には出さないつぶやきも、実際に言葉にしていることも、根の部分は一緒でひとつの木から伸びている枝葉のようです。

私たちは生まれるときも、環境も、育ち方も皆違う中で、同じ日を分かち合いながら歩んでいます。ひとりになりたいときもあれば、それでは寂しく苦しいときもある。放っておけば、互いの矛盾する心がすれ違うだけになることもあります。生きることの意味というのは、その上でどれだけわかり合えるかにあるような気がします。自分と同じであることを他者に求めるのではなく、同じ根から伸びた木の枝だと理解し合うことが実りにつながると思うのです。神様のまばたきほどの私たちの人生において。

「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(ヨハネの福音書15章5節)