ヘブル語のススメ ~聖書の原語の世界~ 2回目 聖書の登場人物が使っていた言語
城倉啓
1969年、東京生まれ。西南学院大学神学部専攻科修了後、日本バプテスト連盟松本蟻ケ崎教会の牧師就任。
2002年、米国マーサ大学マカフィー神学院修士課程修了後、志村バプテスト教会牧師を経て、現在、泉バプテスト教会牧師、東京バプテスト神学校講師。
古代アラビア半島を中心に、「原セム語」と呼ばれる言語があったと推測されています。文字が発明される前に、この原セム語が地域によって東・南・西に枝分かれしました。代表的な言語は、東がアッカド語、南はアラビア語、西はアラム語とフェニキア語です。これらの枝分かれをした諸言語を「セム語族」と呼びます。セム語族という名前は、ノアの息子セムに由来します(創一〇・二一以下)。
ヘブル語はセム語族の中の西の家系、母はフェニキア語、伯母がアラム語。こんなイメージでかまいません。
聖書の登場人物は、何語を使って読み書きをしていたのでしょうか。
族長たちの時代(前一九世紀から一四世紀ごろ?)のことです。アブラハムの父テラは、メソポタミア文明最古の都市国家ウルに住んでいました(創一二・三一)。そこでは国際公用語のアッカド語が話されていました。テラはアッカド語話者です。アッカド語の文字は楔形文字です。粘土板に専用の尖筆で刻んでいき、左から右に読み書きします。
テラの家は、ウルから北西のハランに移住します。ハランはシリア地方の都市国家。そこではアラム語が用いられています。アブラハムとサラはアッカド語とアラム語のバイリンガルになります。アブラハムの兄弟ナホルの一族は、シリア地方にとどまったようです。ちなみに「エガル・サハドタ(あかしの塚)」(創三一・四七)という単語はアラム語です。
この時代のアラム語の文字は、原カナン文字と呼ばれる象形文字アルファベットです。この象形文字は絵の向きによって、左から右にも、右から左にも、さらに上から下にも読み書きできました。
テラの死後、アブラハム・サラ夫妻はハランから南下しカナン地方(約束の地)に移住します。そこは西セム語族のフェニキア語から派生した、いくつかの言語(カナン諸語)が用いられている地域です。カナン諸語の一つがヘブル語です。夫妻は、フェニキア語やヘブル語を習得していきます。アラム語と同様、カナン諸語とフェニキア語の文字は、原カナン文字です。
最初アラム語とヘブル語を用いていたヤコブの子孫は(申二六・五)、出エジプトまでヘブル語とエジプト語を使うようになります(前一三世紀まで続きます)。エジプト語はセム語族とは別系統の言語で、文字は象形文字です。モーセの舅ミディアン人のイテロの用いる言語も、カナン諸語の一つと推測されます。カナンの地に定着したイスラエルはヘブル語のみを用います。
前一一世紀、世界史に残る一大発明がありました。フェニキア文字です。原カナン文字を発展させ、完全に線文字のアルファベット二十二文字がフェニキア人によって編み出されました。この便利な文字を用いて、フェニキア語が地中海世界全域に国際公用語として広がりました。アルファベットの語源も、フェニキア文字の第一文字アレフと第二文字ベートにあります。このとき、文字を右から左に読み書きすることが固定化されました。
便利なフェニキア文字を、アラム語もヘブル語も借用します。前一〇世紀のダビデ王も、前八世紀のアモスら預言者たちも、フェニキア文字で詩や預言を記したのです。
そのころ海のフェニキア語と同時に、陸のアラム語の国際公用語化が起こります。六百文字もある楔形文字は不便でした。アッシリア帝国以降の「世界帝国」(バビロニア、ペルシア)はアッカド語だけでなくアラム語も公用語とします(Ⅱ列王一八・二六)。そしてアラム語話者は、フェニキア文字から発展させた四角い形のアラム文字を編み出しました。
紀元前六世紀、バビロン捕囚によってバビロンに連行されたユダヤの人は、初めてアラム語方形文字に出会います。そして、その文字を使って聖書の編纂にあたります。彼ら彼女らは、礼拝用の言語としてヘブル語を用い、普段はアラム語で話しました。
前五世紀、エズラが約束の地に「五書」を運び入れました。エズラの導く礼拝は、ヘブル語正典の朗唱とアラム語による通訳によって成りました(ネヘミヤ八章)。今日に至るまでユダヤ人は、毎週の礼拝でヘブル語とアラム語方形文字を保存し、伝承しています。