326 時代を見る眼 オンライン化が進む中で改めて問う、礼拝の意義とあり方〈2〉 オンライン化が進む礼拝の現状に思うこと
日本フリーメソジスト・桜井聖愛教会 牧師 大澤恵太
新型コロナウイルス感染拡大の中、会堂に集まる形での礼拝実施の自粛に関しては、さまざまな意見があるでしょう。筆者自身は、実際に置かれている教会で礼拝来会の全面的な自粛とオンライン礼拝等のリモートでの礼拝をお願いする措置を何度かとりました。
その一方で、今でもリモートでの礼拝は集まる形の礼拝の代わりにはなり得ないと考えています。自分自身の内で大きな矛盾と葛藤を感じますが、この矛盾を矛盾として認め、厳粛に受けとめるべきと考えています。少なくとも、治療方法が確立されていない感染症の拡大下でのオンライン礼拝と、治療方法確立後のそれとは、決して同じではないのでしょう。
オンライン礼拝を実施しながら以下のような可能性と課題を感じています。
◆オンライン礼拝の可能性
①コイノニアの拡大(療養中・遠隔地の教会員)
②教会の宣教範囲の拡大
③家庭伝道の可能性の拡大
④礼拝の本質への回帰
⑤無牧兼牧の教会での活用
◆オンライン礼拝の課題
①礼拝の公共性とプライバシー保護のバランス
②身体性による福音体験の欠如(聖礼典を含む)
③外出・移動という礼拝への備えの要素の欠落
④科学技術的手段の導入の範囲(電気や媒体がないと礼拝そのものができないことをどう捉えるか)
⑤特定の奉仕者への負担集中
⑥礼拝における献身の機会としての献金の在り方
⑦オンライン礼拝での牧会の限界
これらを覚えつつ、フルリモートでの礼拝と同時に、インターネット環境がない方へのフォローも含め、日常的な牧会的ケアの量と質を増やすことに力を注ぎました。その中で、教会を支えられる兄弟姉妹の姿に感動し、教会が礼拝共同体であるという事実とともに、心と心が通い合う牧会の大切さを改めて教えられました。何よりも、教会において共に集まるという身体性による恵みの重要性を強く感じています。
キリスト教会でオンライン活用の機運が高まっていることは非常に良いことです。しかし同時に、パンデミック下で取り上げられて、悔しい思いをしたことの中にこそ、教会が教会であるために必要な本質が示されていると思っています。それを見過ごさないようにしたいものです。