新連載 ここがヘンだよ、キリスト教!?
徳田 信
1978年、兵庫県生まれ。
バプテスト教会での牧師職を経て、現在、フェリス女学院大学教員・大学チャプレン。日本キリスト教団正教師(教務教師)。
クリスチャンは十人十色、それぞれ独自の信仰の歩みがあり、独自の物語を持っています。その物語はいずれも決して平板ではなく、キリスト教信仰をめぐる疑問や葛藤も少なからず含まれているはずです。私自身、「ここがヘンだよキリスト教」と思うことが多々ありましたし、今もあります。それでもクリスチャンとして歩み続けてきました。
この連載では、みなさん自身の物語とどこかで共鳴することを期待しつつ、私の歩みを物語っていこうと思います。それは一言で言えば、さまざまな葛藤を覚えながらも、神の恵みを見いだしてきた歩みです。初回にあたる今回は、自己紹介をかねて、「私はどのようにクリスチャンとなったのか」を記します。
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クリスチャンホーム生まれの私にとって、物心ついた時から教会は生活の一部でした。中学生で洗礼を受け、自分が信仰者であることを疑いませんでした。しかしひとり暮らしをきっかけに新しい教会に通い始め、その確信が揺らぐことになります。そこは、アメリカ人宣教師が牧会し、アメリカ南部そのままの雰囲気の教会でした。驚いたのは、毎礼拝で「招き」があったことです。礼拝が終わりに近づくと、主イエスを救い主として受け入れたい人や、悔い改めに導かれた人、受洗の決心をする人、伝道者として生涯をささげる決心をした人は、手を挙げ、前に進み出て祈ります。実際、毎週のように招きに応じ、懸命に祈りをささげる方々がおられました。
私は、その様子を眺めながら、いつしかある疑問を抱くようになりました。当時、教会のほとんどの人に話さなかった、いや話せなかった深いところにある不安でした。一言で言えば、自分の救いに確信が持てなくなったのです。
私は教会員としてマジメに教会に通っていました。日曜礼拝だけでなく、平日や週末の集会もほとんど皆勤賞でした。私のことを、教会に熱心で、信仰的な人間と見ていた教会の方々もおられたでしょう。私自身、教会に入り浸る自分に満足していました。しかし家に帰り、ひとり静かになったとき、繰り返しあの不安が頭をもたげてくるのです。自分は神を心から信じているのか。信仰者のフリをしているだけではないのか。滅びではなく天国に至る道を歩んでいるのか、と。人知れず抱えていた不安は、招きに応じる人たちを見るたびに強まっていきました。
その密かな悩みは数年続きましたが、あるときに転機が訪れます。それはローマ人への手紙5章6~11節を読んでいるときに起こりました。その箇所には、私たちがまだ弱かったとき、つまり不信心で罪人であったとき、すでに主イエスが私たちのために死なれたと書かれています。そこを読んだとき、私の心の奥底に一筋の光が差し込みました。
主イエスが罪の身代わりとして十字架で死に、蘇られたことは、繰り返し聞いてきました。しかし理屈としてわかっても、ピンときませんでした。しかしそのとき、ビリビリと電気が走るように「腑に落ちた」のです。ある聖書箇所が自分に語りかけているように感じるとき、「御言葉が与えられた」と表現することがあります。まさに御言葉が与えられた、自分に向けて語られている迫りを感じました。
主イエスは十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」と祈りました。自分を十字架に追いやった宗教指導者や兵士たち、裏切った弟子たち、我関せずと眺めている人々を念頭に、「彼らをお赦しください」と祈ったのです。その「彼ら」に私も含まれていました。私たちを、いやこの私を十字架に至るまで愛し抜いた神、その神を受け入れないことが罪だと悟りました。
私の信仰の不安は、招きに応えるという、一種の宗教的行為にこだわっていたことから来ていました。涙ながらに前に進み出て、懸命に祈るという行為に神が目を留め、受け入れてくださると誤解していたのでした。救いの根拠はただ、主イエスの十字架に示された神の恵みにあります。その場、その時に私はいませんでした。私が生まれるはるか以前、すでに救いの業が成し遂げられたのです。十字架を通し、神が和解の手を一方的に伸ばし、罪人の私をガシッと掴んでおられたのです。そのことをただ感謝して受け止める、それがクリスチャンなのだとわかりました。
心にフッと安心感が染みわたったことを覚えています。こうして、徐々にゆったりした気持ちで信仰生活を送ることができるようになりました。そして、味わった神の恵みを多くの人と分かち合いたいと願うようになりました。
その後、さまざまな道をたどってきましたが、今でも大切にしている原体験です。