神さま、 なんで? 〜病院の子どもたちと過ごす日々〜 第六回 「『生きる』は『神さまへの賛美』だ!」

久保のどか

広島県瀬戸内の「のどか」な島で育ち、大学時代に神さまと出会う。卒業後、ニュージーランドにて神学と伝道を学ぶ。2006年より淀川キリスト教病院チャプレン室で、2020年より同病院医事部で、小児病棟の子どもたちのパストラルケアに携わる。2012年に開設された「こどもホスピス」でも、子どもたちのたましいに関わり、現在に至る。

 

淀川キリスト教病院こどもホスピス病棟には、日常的に医療的ケアが必要な難病の子どもたちがレスパイト入院のために来てくれます。

レスパイト入院とは、医療的ケア児・者を日々自宅でケアしているご家族の休息のために、一時的に子どもたちをお預かりする医療型短期入所サービスです。

レスパイト入院しているのは、人工呼吸器がついていたり、いつ発作が起きるかわからなかったり、胃ろうの管理や痰の吸引などが常に必要な子どもたちです。

彼らは日々、いのちと向き合う最前線を生きています。医療的ケアに従事している医師や看護師たち、その他の専門スタッフたちは、日々高い緊張感の中、プロフェッショナルとして子どもたちのケアにあたっています。

ところが、この病棟にはいつもだれかの笑い声がしているのです。「〇〇ちゃん、笑ってくれた!」「めっちゃ大きい声で泣けるんやね!」「お風呂が気持ちよかったみたいでご機嫌やね」「穏やかに過ごせてるね」「めっちゃ怒ってる!」「こちらを見てくれたよ!」などと言いながら。子どもたちの表情や感情の動き、身体の状態がスタッフにとって笑いが起こるほど嬉しくて喜びです。そして、その小さな喜びを分かち合うことで、さらに笑いが起こってしまいます。だから、病棟にはいつも笑い声がしているのです。

私は毎日行われる病棟のイベントを担当していて、歌やお話、工作やゲームをしたり、お祈りをして子どもたちと一緒に過ごしています。また、ベッドサイドでも子どもたちと過ごします。ベッドサイドでしっかりとお話を聞いてくれたり、ニッコリとほほ笑んでくれたりする子どもたちと過ごす時には、なんだかこころの距離が縮まったように感じ、非常に幸せな気持ちになります。また、ベッドサイドを訪ねて、寝ている子どもたちに会うと、「穏やかに安心して過ごせますように」と祈るような気持ちになります。

そして、いつも思うのが、「私みたいな者がこんなに幸せな気持ちになるのだから、神さまはどんな気持ちでこの子たちを見つめておられるのだろう。この子たちは神さまにとって、私が想像もできないくらいの喜びなのだろうなぁ」ということです。

Fちゃんとは、レスパイト入院に来られるときにいつも一緒に過ごします。Fちゃんは、表情で意思を伝えてくれます。あるとき、一緒にある絵本を読みました。『いちばんしあわせなおくりもの』(宮野聡子著、教育画劇)という絵本で、かわいらしいリスとクマの物語です。

リスは大好きなクマに喜んでほしくて、さまざまな贈り物を考えます。ですが、クマは何もいらないと言うばかり。リスは悲しくなって、クマに言います。「どうすれば、きみはうれしくなるの? なにをしたら、しあわせなの?」と。すると、クマはリスに言います。「きみとここにいるだけで、ぼくはとてもしあわせなんだ。」 こうして、クマとリスは一緒に過ごせることを喜び合いながら暮らすようになった、というお話です。

“何かをすることがだれかを幸せにできる、よりも、あなたがいてくれることがだれかを幸せにする”というメッセージのこの絵本を読み終えて、私は、「あぁ、本当にそうだな。神さまのまなざしとも通じるんじゃないかな」と思いました。そこで、勇気を出してFちゃんに伝えました。「私もこうしてFちゃんと一緒に過ごせることが本当に嬉しい」と。Fちゃんはキラキラとしたまなざしでニッコリと笑ってうなずいてくれました。なんとも照れくさい時間でしたが、忘れられない思い出です。

子どもたちと一緒に過ごすなかで私が教えてもらっていることの一つは、“自分に与えられたいのちを生きることは神さまへの賛美だ”ということです。難病の子どもたちの「生きる」には、困難がたくさんあります。ですが、神さまに「生きよ」と願われ与えられたいのちを生きる彼らは、神さまの喜びであり、神さまと共にそのいのちの道を歩んでいると私は思っています。だから、彼らの「生きる」は「神さまへの賛美」だと信じているのです。

こどもホスピス病棟を退所していく子どもたちに、スタッフは「またね! また待っているよ!」と声をかけます。その「またね」が当たりまえではないことも知っています。私たちは「また会えますように」との祈りをこめて、願いをこめて、今日も子どもたちがそれぞれのおうちに帰っていくのを見送っています。

「私は生まれたときから あなたに抱かれています。
あなたは私を母の胎から取り上げた方。
私はいつもあなたを賛美しています。」
(詩篇七一篇六節)