神さま、 なんで? 〜病院の子どもたちと過ごす日々〜 第七回「かみさまー!!」
久保のどか
広島県瀬戸内の「のどか」な島で育ち、大学時代に神さまと出会う。卒業後、ニュージーランドにて神学と伝道を学ぶ。2006年より淀川キリスト教病院チャプレン室で、2020年より同病院医事部で、小児病棟の子どもたちのパストラルケアに携わる。2012年に開設された「こどもホスピス」でも、子どもたちのたましいに関わり、現在に至る。
淀川キリスト教病院こどもホスピス病棟には、緩和ケアの目的で来る子どもたちがいます。小学生のF君もその目的で病棟に来てくれました。
F君との出会いを思い返すと、初めて会ったときの少し緊張したような表情でした。二度目の入院時、お昼前にベッドサイドで絵本を読んでいると、突然私のおなかが鳴ってしまいました。私が思わず「あ、おなか鳴った」と言うと、F君は笑い出しました。それから唐揚げが好きなのだと話してくれました。二人で食べ物の話題で盛り上がり、余計におなかが空いたことを今もよく覚えています。F君とこころが打ち解けたように感じた大切な思い出です。
病棟にもなじんできたF君は本当によく笑い、よく歌を歌ってくれました。とっても明るくて人なつっこいF君でしたが、車いすに座って、窓から空を眺めている姿を見かけることがありました。その後ろ姿を見ながら、そのこころの中には言葉では表現できない葛藤や疑問があるのではないかと感じました。
あるとき、F君とおしゃべりをしていると、神さまの話題になりました。私は毎日神さまにお祈りをしていると話したと記憶しています。「お祈り」ということを「神さまにお話をする」と表現し、神さまは私がお話しする声をいつも聞いていてくださると伝えました。ですから、F君のこころの声も神さまはちゃんと聞いてくれるし、受けとめてくださると話しました。
私の話を聞いたF君は、「えー!! 久保さん、神さまとお話しするの?」と驚いていました。そしてこう言いました。「ぼくも神さまにお話ししてみようかな……お話ししてみるわ。」 そう言った後、窓の外に視線を向けていたF君が、ビックリするくらい大きな声で「かみさまー!!」と叫んだのです。そして、上を向いて目を閉じ、じーっと耳を澄ませていました。それから、「なんだい、ぼくは聞いているよ」と小さな声で言ってから、笑顔でこう話してくれました。「かみさま、ぼくの声も聞いてくれたわ」と。F君は、神さまに聞こえるようにと大声で名前を呼び、返事をする神さまのささやく声を一人二役で演じたのです。大真面目で一人二役を演じているF君のまっすぐな気持ちが愛らしかったのと、予想外の展開にビックリして私は笑い出してしまい、二人で大笑いになりました。
大笑いしながら、「これはF君と神さまがつながった瞬間だ」と、私は感動しました。
「かみさまー!!」と名前を呼んだF君の声を神さまはしっかりと受けとめてくださる、F君の「生きる」を神さまが支えてくださる、だから私はこの神さまにおゆだねしながらF君と一緒に過ごしていこうとの思いを新たにしました。
F君と一緒に過ごすなかで、私は何度となく、「神さま、どうしてですか? どうしてF君が?」と葛藤し、神さまに訴えました。また、F君の気持ちに寄り添うために自分には何ができるのだろうかと悩みました。葛藤するなかで、また祈るなかで、気づかされたのは、神さまは「F君のこころに上手に寄り添いなさい」と言われるのではなく、「おまえはどこに立っているのか」と問われるということでした。“私に何ができるのか”ではなく、“私がどうあるのか”、私自身の生き方を神さまに問われているように感じました。F君のいのちと向き合いたいと格闘しながら、私自身が神さまのいのちと向き合わされ、神さまのいのちにこころを向けながら、F君と一緒に過ごすように変えられていったように思います。
F君は、最期の時を自宅でご家族と一緒に過ごし、天国へと旅立っていきました。自宅で過ごしながら、私たち病院スタッフへ手作りのマスコット人形や折り紙をたくさん作ってくれました。ご家族から手渡していただいた人形はF君の笑顔と同じニッコリ顔をした可愛いものでした。F君は、大切な最期の時、私たち病院スタッフのことにまで想いを寄せてくれていたのです。こころの中で葛藤や恐れを感じることもあったでしょう。
けれども、病院にいる私たちのことを想いながら折り紙を折り続け、チクチクと裁縫をする手を止めなかったF君の生きる姿を想うとき、ひまわりのようなF君の笑顔とイエスさまの言葉、「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒の働き二〇章三五節)が私の心に響きます。
「あなたを呼び求めます
神よ、わたしに答えてください。
わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。」
(詩篇一七篇六節、新共同訳)