孤独の中の友へ ?信じても苦しい人に送る「片道書簡」 五回目 近道ではない道を信仰で

中村穣(なかむら・じょう)
18歳の時にアメリカへ家出。一人の牧師に拾われ、キリストと出会う。牧師になると決意し、ウェスレー神学大学院を卒業。帰国後、居場所のない青年のための働きを2006年から始める。2014年、飯能の山キリスト教会を立ち上げ、教会カフェを始める。現在、聖望学園、自由学園、JTJ神学校での講座を担当。

今回は自分の葛藤した過去のお話をします。ちょっと恥ずかしいですが、聞いてください。
私には息子がいるんですが、あるとき、自分が父親として何をしていいかわからなくなったことがありました。息子に大切なことを教えているつもりが、いつの間にか息子が失敗しないようにするにはどうしたらいいかばかり考えて、つらくなった時がありました。その時のことを、今日はお話ししますね。

息子の葛藤
ある時、息子が幼稚園でみんなの輪に入れずに、一日廊下の隅でみんなを見ていると先生から連絡がきました。私も劣等感が強く、輪に入れないで一人ぼっちだった経験をしましたので、息子の気持ちがよくわかります。それなので余計につらくなりました。やっぱり自分が経験したつらさを息子には経験させたくないと思いますよね。
そんな息子の姿を見るのが苦しくなってきました。どうにかしてあげたいと思うけど、幼稚園の中では何もできません。神様に祈るしかなかったんですね。一人にならないようにどうすればいいかと私は考えるようになって、あれこれとこうしたらいいと息子に話すようになったんです。

失敗しないためのアドバイス
最初はよかったんです。自転車の乗り方や勉強のやり方を教えてあげていた時は、いろいろできるようになってよかったわけです。でも、次第に息子が成長していくとですね、彼に対して何かをできるようになるためのアドバイスではなく、失敗しないようにするにはどうしたらいいのかを教えるように変わっていきました。
夜早く寝ないと朝学校に遅れるよとか、試験前だけ勉強してもきちんと学べないよと言っている自分は、息子に失敗させないようにしているんじゃないかと感じ始めました。そうしたら、今度は私自身がつらくなってきたのです。それがどうしてかというと、自分の人生を振り返ってみれば、失敗ばかりだからです。
たしかに経験から学べと言いますから、息子に同じことを繰り返させないように教えるのはいいかもしれません。でもですね、何となく、息子の人生に「こうやって生きたらうまくいくというレール」を敷いている気がしたのです。
以前から私は息子には、「失敗しても神様はおまえを愛し続けるし、その愛は失敗によって変わらない」と教えたいと思っていました。「お父さんも失敗し続けた人生だったから、おまえも最短距離でなくてもいい、遠回りした人生でもいい」と伝えたいと思っていたんです。なぜなら神様は、私がどんなに遠くに行っても連れ戻してくれるお方だからです。そのことを一番息子に伝えたかったのに、自分のしていることが真逆だったことに気づいて、つらくなったわけです。

失敗を受け取ってくれる神様
あるとき、いつものコーヒー屋で聖書を開いてみると、モーセがエジプトで奴隷だったイスラエル人を脱出させた時の箇所でした。そこには、神様は彼らを脱出させはしたけど、目的地である約束の地への近道であるペリシテ街道を行かせずに、道なき道である荒野へと導いたとありました。荒野を行くことで、イスラエルの民に大切なことをいろんな失敗を通して教えるためだったわけですね。エジプトを出てすぐに、食べ物がない、奴隷だったエジプトのほうが良かったと文句を言い出す民でしたから。やっぱり人間は自分で経験しないと学べないことがあります。
そんな民に神様は、目の前には海、後ろからはファラオの軍勢という絶体絶命の危機でも奇跡で民を救い、天からマナを送るという奇跡をあらわしました。イスラエルの民はたくさんの失敗を通して、神様の愛を体験したはずです。
ある日、息子に言いました「今までごめんね。お父さんは間違っていた。いつも先回りしておまえに正解を提示ばかりしていた。もうこれからはそれをしないと決めたから」と。それは、神様を息子の人生から遠ざけていることに気づいたからです。失敗しても責めずに、苦しむところに手を差し伸べ、共にその苦しみを味わってくれる神様だから、安心して失敗してね、と息子に伝えることができたんです。最短距離では人を愛せない。私の教訓です。

※今回の連載の内容をさらに詳しく知りたい方は、YouTubeチャンネル「飯能の山キリスト教会」から、ロングバージョンのメッセージを聞くことができます。
https://www.youtube.com/@nogarenomachi