書評books 日々の生活に息づく説教集
尚絅学院 学院長 佐藤司郎
日々の生活に息づく説教集
『コリント人への手紙第一に聴くⅢ
聖霊の賜物とイエスの復活』
袴田康裕 著
B6判 336頁
2,200円(税込)
いのちのことば社
袴田康裕先生の説教集「コリント人への手紙第一に聴く」全三巻が、このたび、そのⅡ(『キリスト者の結婚と自由』)とⅢ(『聖霊の賜物とイエスの復活』)の出版をもって完結したこと、慶賀にたえません。
全部で七十五編、これだけの分量のものが、一貫した方針のもとで、霊的な勢いが保たれたままに仕上げられたことは驚くべきことです。同じ講壇に立つ者として、心からの敬意を表します。また読者にとっても、比較的短期間のうち全部そろったことは、ありがたいことだと思います。
いま「一貫した方針のもとで」と書きましたが、著者がⅠ(『教会の一致と聖さ』)の「あとがき」に書いておられたことを受けたものです。
著者は、心がけたこととして、①テキストの論理を追うことを基本とする、②一つ一つの言葉を大切にする、③説教としてのリズムを生かす、をあげています。
この三つは、相互に関連し合っています。テキストの論理を離れた一つ一つの言葉の意味の追求はあり得ず、説教のリズムは、テキストの論理にそったときにはじめて生み出されるはずだからです。今回ⅡとⅢ、二冊を読ませていただき、何より心がけとして掲げられたことが十分果たされたのではないか、という感想をもちました。
コリント人への手紙第一は、説き明かすのに決して楽なものではありません(楽なものなど、聖書に一つでもあるわけではないけれど)。そう簡単ではないというのは、このパウロの手紙が、コリント教会が直面していたさまざまな、具体的な、なかなか判断の難しい問題を取り扱っているからです。
たとえば、結婚に関わる諸問題、偶像にささげられた食物の問題、さらに礼拝、聖餐の問題など(七~一一章)、聖霊の賜物、預言や異言の問題、とくに復活理解のことなど(一二~一六章)です。そしてそれらの問題を、ⅡとⅢは扱っています。
問題が具体的であるだけに、どうしても、できるだけ正確な当時の状況の説明が必要になります。それが今日の私たちとどのように関係するかも、場合によっては言わなければならないでしょう。そしてそのうえで、私たちがそれらの問題に対して、教会として、キリスト者としてどのような態度決定をなすべきか、説教者としても、あいまいなまま済ませるわけにはいきません。「簡単ではない」と私が言うのはそういう意味です。
しかしこうした、いわば「難しさ」を、二冊の説教集はよく乗り越えているように思います。実際、時に旧約にまでおよぶ歴史的な説明は的確であり、どう受けとめるべきか、説教の結びとして、あるいはまとめとして言葉できちんと示されているからです。
この説教集で私が強く感じ、また最も感銘を深くしたのは、テキストに向かう説教者の思いの中心にいつも聴衆がいる、教会員がいるということでした。それが説教の表面にまで出ていることは多くありません(たとえば、『コリント人への手紙第一に聴くⅢ 聖霊の賜物とイエスの復活』「51 御霊の賜物」など)が、どの説教からも感じることができます。
聖書の説き明かしは、説教者にとって、教会が「健全な」「健やかな」(著者のキーワード)成長を遂げ、会員の生活ともども建て上げられていくようにという祈りです。引照されるのはカルヴァンの註解のみという徹底ぶり。これも、この説教集の特長と言ってよいかもしれません。
読者の皆さんは、いっぺんに読んでしまうのではなくて、一つ一つの説教を、聖書を開いてじっくり読み、かつこれを手引きとして黙想するとなれば、得るところ必ずや大きいものと確信します。
(月刊「いのちのことば」二〇二〇年八月号より)