連載 まだまだ花咲きまっせ おせいさん、介護街道爆進中 第4回 インドネシア
俣木聖子
一九四四年生まれ。大阪府堺市在住。二〇〇〇年に夫の泰三氏が介護支援事業会社「シャローム」を創業したことを機に、その運営に携わる。現在は同社副会長。
去年の秋、スタッフ二人とおせいさんとでインドネシアに行った。今年の秋からシャロームで働く人材の面接のためだ。仲介業者がインドネシア人の介護に携わる若い人たちを二十四人集めてくれた。
スケジュールを見た。弾丸スケジュールだ。七十九歳のおせいさんに無事こなせるのか?
一日目はインドネシアに飛び、さらに国内移動で、三時間のフライト。そこからホテルでゆっくりする間もなく、全員の面接だ。飛行機はすべてエコノミークラス。年寄りに親切なことだね。おせいさんは内心毒づいていた。
関空発午後十一時のフライト。ビジネスクラスなら熟睡して快適に面接に臨めただろう。エコノミークラスでは、体はしんどく、寝た気分はしなかった。機内食を食べながら、うつらうつらの状態だった。
しかしインドネシアに入ったとき、空港内に活気があった。それに押されたのか、おせいさんは、やる気満々だ。
「神様、感謝です。エコノミーでも、こんなに元気でインドネシアに着きました」おせいさんは祈った。
スタッフは、若いから大丈夫だろうと思いきや、二人とも疲れた顔だ。
乗り継ぎまで数時間あった。コーヒーを飲みたかったが、早朝の四時では開いている店はなかった。旅慣れた外国の若者たちは、寝袋なるもので、手足を伸ばして寝ていた。気持ちよさそうだ。ベッドで寝られるとは最高だね。
乗り継いだ国内線の中では寝たかったが、三人は面接の資料を必死で読んだ。
顔と名前が一致しない。日本人同士でもわからないのに、ましてインドネシア人だから、誰を見ても同じ顔に見える。
やっと面接会場のホテルに着いた。
「お疲れ様でした」と仲介業者の方がホテルの前で出迎えてくれた。ホッとした。通訳をしてくれる人もいた。穏やかな男性だ。
「お疲れ様でした。インドネシアによくおいでくださいました。よろしくお願いします」
穏やかな、いい青年だった。インドネシア人のおおかたはイスラム教徒らしい。彼もそうだった。彼は日本の神戸に留学して日本語を学んだ。彼の名通訳にずいぶん助けられた。
面接の前に、ホテルの部屋に荷物を置きに行った。その時、二日ぶりくらいにベッドで手足を思い切り伸ばした。ほんの数分だ。それだけでも体の隅々まで空気が流れた気がした。
面接の時間が迫っていた。ランチにテールスープを飲んだ。たいへん美味だった。
面接会場に着いた。「起立!」の掛け声で一斉に立った。二十四人。
「よろしくお願いいたします」と大きな声ではっきりと言った。頭を下げた、皆の様子があまりにも軍隊調で、びっくりした。
一人ひとり真剣だ。外国に働きに行くのだから、決意も生半可ではない。仲介業者の言葉を信じてシャロームに就職したいとの真剣勝負だ。その信頼を裏切ってはならないと、こちらも真剣だ。
受験者はすべてクリスチャンだ。日本で、これだけの数のクリスチャンは集まらない。海外人材募集の強みである。
二十四人の中から八名を選ぶ。いい人ばかりで全員採用したい。
その日のうちに合格者を決定しなければならない。
三人で頭が燃えるほど協議をして精鋭八人を選んだ。
発表した。合格した人を部屋に呼んだ。
「副会長に、皆様のためにお祈りをしていただきます」
おせいさんが心を込めて彼女たちのために祈った。その時、彼女たちがわっと泣いたのだ。採用された嬉しさからか、神様への感謝のお祈りに感動したのか。インドネシアの少女たちの顔にきれいな涙が流れた。
おせいさんはシャロームの母として、一人ひとりを温かくハグした。
帰りの飛行機の中でスタッフ二人が言った。
「来年もインドネシアに人材募集に三人で来たいですね」
八十歳になって、若いスタッフと海外に人材募集に来られたら、幸いなことだ。神様に祈りつつ会社を起こして二十四年。艱難辛苦の日々だった。しかし、艱難をのりこえる力と知恵と忍耐が与えられた。天国行きのチケットを多くのお年寄りがたに渡すことができた。
試練は試練で終わらないことを体験した。困りごと相談所の幕はまだ下ろせない。八十歳は希望の始まりだ。