連載 ひきだしの中の信仰 第5回 ふさわしい、は美しい。

イラストと ことば
林 くみこ

グラフィックデザイナー。「よきおとずれ」を運び、互いに祝福し合うために用いてください、という願いをこめて、聖書のメッセージやみことばからイメージしたイラストのポストカードをゆるゆる制作中。東京・奥多摩にあるクリスチャンキャンプ場・奥多摩福音の家スタッフ。

 

今月の聖句
伝道者の書
3章 11節

 

印刷物のデザインに関わる仕事をして、デザインとは見た目がカッコイイとかそんな表層的なことではなく、伝えるべきことをふさわしいかたちにして相手に届ける、仲介者のような役割だと学んだ。だから「デザインとはふさわしくすること」だと心がけている。
ヘブル語の「ふさわしい」は、そのものの本質に合致している、という意味のことばらしい。神さまに創造されたものが、その本質にかなって本来の魅力をもっともよく表す時、ふさわしく、美しいという。それで、伝道者の書3章11節のみことばを、「美しい」と同時に「ふさわしい」と読んでいる。美しいかどうかは、美しいと感じるかという自分の感性で測ってしまうけれど、神さまの創造と御業はふさわしく、美しいのだ。春の穏やかな光、コントラストの強い夏の日差し、重たい雲に覆われた日にも、その時々にもっとも美しい花が咲く。そんなふうに自分ではとても美しいとは思えない日々にも、ふさわしい花が咲いているのかもしれない。
わたしたちも、一人ひとりふさわしくデザインされている。それなら、神さまの創造に「ふさわしく」生きるとはどういうことかと考えて、この聖書のことばを思い出した。「後の世代のために このことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された』」(詩編102編19節、新共同訳) 神さまは、美しいものと同時にそれを喜ぶ心も与えてくださった。その喜びを、ふさわしくかたちにして賛美できたらと思う。