357 時代を見る眼 「生まれてよかった」と思えるために〔3〕 教会が託されていること

社会福祉法人 救世軍社会事業団
吉田 有

 

当然のことですが、社会的養護の施設や里親養育において体罰は禁止されています。身体的暴力はもとより、言葉による暴力や人格否定、無視・脅迫等の心理的虐待、セクシャルハラスメント等、不適切なかかわりは絶対に許されるものではありません。しかし残念なことに、一部に不適切な事例があることから、施設職員等による虐待について、都道府県等が児童本人からの届出や周囲の人からの通告を受けて、調査等の対応を行う制度が法定化されています。
虐待は支配と被支配のような力関係の中で度々、起こります。すべての人が加害者になる可能性があり、子どもの支援をしている専門家であっても例外ではありません。クリスチャンや、教会の牧師、信徒だからといって可能性が排除されるわけではありません。
救世軍では、このことや、現場の反省から「児童安全保護指針」を定め、子どもの働きに携わるすべての職員、ボランティア、教会の牧師や信徒に対して研修を義務化しています。
教会はすべての子どもたちに開かれた場です。神様の愛を知り、イエス・キリストと出会う場所が、その目的に適うものであることを願います。一方で、教会は「求める人を受け入れる」その使命ゆえに、子どもたちに危害を加える目的で教会に近づく人にも門が開かれています。当然、それらの人々もイエス・キリストの救いを必要とする一人です。しかし、子どもたちを守るという視点に立った時、その事実を知り、向き合い、対処することは大切です。研修等を通して、これらの面が整えられることを心から願っています。
すべての子どもたちが「生まれてきてよかった」と思えるために、教会は何ができるでしょうか。大切なことは「知る努力」だと思います。教会に来る子どもたち、地域に暮らす子どもたちは、この複雑な世の中で、それぞれ課題や葛藤を抱えているかもしれません。教会がたてられた地域に、社会的養護下にある子どもがいるかもしれません。里親をしている家族が教会に通っているかもしれません。牧師夫妻が里子を受け入れているかもしれません。近隣の児童養護施設と交流があるかもしれません。もう一度、自分たちの地域、関わりのある子どもたちに目を向けてみてください。
私自身も、無関心ではなく、配慮と愛をもって知る努力を続けたいと願います。求めのある人を受け入れる教会が、子どもたちの「生まれてきてよかった」を支える場所でありますように。