連載 リラ結成30年 いつまでも賛美をこの口に 第7回 詩篇73:21-24 青木信太郎

LYRE(リラ)
1993年に東京基督教大学の神学生たちによって結成された賛美グループ。卒業後、コンサート活動をしながら、6人のメンバーは各々のところへ遣わされ、主のみわざに励んでいる。

 

LYREで賛美していると、自然に涙がこぼれてしまう楽曲がたくさんある。アサフの賛歌とされる詩篇七三篇に、栄ちゃん(宮脇栄子)が曲を付けたこの作品は初期から賛美してきた曲で、いくら堪えようとしても歌っているうちに涙がこぼれ落ちる。以前、神学生時代を共に過ごした友人が牧会する長老教会でこの曲を賛美した。始まるや否や、最前列に座っていたその友人牧師が号泣し始めた時だけは、あまりの驚きで涙を流さずに歌いきることができた。
私は牧師家庭に生まれ育った。幼少のころから何不自由なく教会に行くことができ、いつでも聖書を開くことができた。「牧師家庭に生まれ育ったのは恵みだね」と様々な方がおっしゃってくれる。けれども若いころの私はこの「恵み」を素直に喜ぶことができなかった。むしろその環境を「恵み」と感じることができなかった。宗教二世問題を語りたいのではない。両親は精いっぱいの愛を私に注いでくれた。私がイエス様と共に歩めるようにと熱心に教育してくれた。でも、私の心の中は自由がない束縛感を感じていた。もっともっと自分の好き放題に生きたいと思っていた。礼拝や教会が私にとって大切なものであると分かっていても、自分が楽しいと思うことを選び取り、思いどおりに歩む人生に憧れた。放蕩息子さながら、早く自立して自分勝手に歩みたいと願っていた。毎週教会に通い牧師の息子を演じながら、私の心の王座にはキリストではなく私自身が座っていた。まるで獣のようにヨダレを垂らし、唸り、吠え猛る私が。
バプテスマを受けて、さらに自らの罪深さが分かるようになった。神学校で学ぶほど自らの愚かさに直面した。結婚してパートナーが与えられた私には、ちっぽけな愛しかないことに気付かされた。牧会者として神と人とにお仕えするはずの私が、いかに傲慢で汚れた者であるか身に染みて恥じ入るばかりである。今もなお、自らの罪汚れを知るたびに「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺される。私は愚かでわきまえもなく、あなたの前で獣のようです」と涙が溢れてくる。それでも、この口に賛美を与えてくださった主が許してくださるならば、私はLYREで心と声を合わせて、救いの恵みを賛美して証ししたいと願う。「しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう」と歌うたびに、獣のような私のために十字架でいのちを献げてくださったキリストの愛を思い、涙がこぼれ落ちる。

 

詩篇73:21-24
曲  若林栄子

私の心が苦しみ
私の内なる思いが
突き刺されたとき
私は愚かでわきまえもなく
あなたの前で獣のようでした

しかし私は絶えず
あなたとともにいました
あなたは私の右の手を
しっかりつかまえられました

あなたは私をさとして導き
後には栄光のうちに
受け入れてくださいましょう

© Eiko Wakabayashi