連載 ひきだしの中の信仰 第7回 神のヘセド、イエス

イラストと ことば
林 くみこ

グラフィックデザイナー。「よきおとずれ」を運び、互いに祝福し合うために用いてください、という願いをこめて、聖書のメッセージやみことばからイメージしたイラストのポストカードをゆるゆる制作中。東京・奥多摩にあるクリスチャンキャンプ場・奥多摩福音の家スタッフ。

 

今月の聖句
イザヤ書54章10節

 

福音書を通して、わたしたちはイエスという人を知ることができる。わたしにとって印象深いイメージの一つに、重い皮膚病の男を癒やされたイエスさまの姿がある。病気をうつさないために距離を取りながら、ただ言葉をかけてくれればいいと願った男に、イエスさまはその手で触れて癒やした、という場面だ。人々から距離を取って(距離を取られて)生きてきた男が負う孤独や屈辱の痛みに、憐れみが溢れ、思わず手を伸ばす。隔たりと恐れを打ち破るように伸ばされる手の力強さを思い巡らし、いつも心が震える。
わたしはたびたび、自分の誠実さで人を裁き、愛が抜け落ちる。それで、誠実とも愛とも訳せる「ヘセド」というヘブル語について友人が教えてくれたことがあった。神さまは、完全な誠実で応えることができない人間を、真実に愛される。その矛盾を克服するために選ばれたのが、自らが痛むという方法。それが、人としてこの世界に生き、十字架にかかり痛みを負ったイエスの姿そのものであり、わたしたちに伸ばされたイエスの手なのだ。
信仰とは何か、という難しいことはあまりよくわからない。ただ、この「イエス」という人に魅了されているのだと思う。彼の大胆さとユーモア、深い愛と慈しみ。聖書に出てくる弟子たちや女性たちと同じように、わたしも魅了され、憧れている。だからこのイエスのように生きよう! と簡単にはいかないけれど、その手に触れられた者として、思わず手を伸ばす生き方をしたい。