連載 まだまだ花咲きまっせ おせいさん、介護街道爆進中 第8回 義父と母

俣木聖子
一九四四年生まれ。大阪府堺市在住。二〇〇〇年に夫の泰三氏が介護支援事業会社「シャローム」を創業したことを機に、その運営に携わる。現在は同社副会長。

 

シャロームを始める何年か前、夫・泰三の母が脳内出血でアッという間に亡くなり、おせいさんたちは義父・浅吉と同居することになった。義父は元警察官だった。
おせいさんは、すでに自分の母・恵美子と同居していた。義父はそこに住むのを躊躇した。しかし、今さら恵美子を一人暮らしさせるわけにもいかず、義父は寛容な心と持ち前の優しさで同居をした。
恵美子との日々がどえらい目になるとは、義父は想像もしなかった。恵美子みたいな人間に、義父は会ったことがなかったのであろう。
義父が来た日に恵美子は言った。
「ここは私の土地でっせ。聖子のものではない。俣木家の人は私の家に住まわせてやっているんです。私が大家さんです。この家を乗っ取ったりしないように。言うときまっせ」
義父に失礼なことを言った。おせいさんは頭にきた。
「お母さんのおっしゃること、肝に銘じておきますよ」
義父は大した男だ。恵美子と同じ土俵で戦ったりしない。
恵美子は、この家の天下は私なんだとふるまった。初日にしてこれだから、行く先どんなことが起こるのかと、おせいさんは気が気ではなかった。
嵐の気配が漂うこの家で、シャロームのデイサービスがオープンした。
恵美子はデイに初めて来たお客様に対して言った。
「あんた、鼻低いね」
夜、おせいさんは恵美子に注意した。
「お母さん、デイに来てくださるお客様に対して、気分を悪くすることを言わんといて。お客さんが来なくなるわ」
「ホンマのこと言うて何が悪いねん」
注意しても、それがどうしたという態度で反省しとらん。
ある時は新米の看護師に向かって言った。
「声が小さい。年寄りは聞こえんのや。そんな小さい声だったら、仕事にならん。クビや」
まだ始めて間もない会社に来てくれた看護師だったのに、即刻退職した。
こんな年寄りにはなりたくない。わが親なれど、勘弁してくださいよ。
その点、義父は惚れるほど、いい歳を重ねていた。
義父は要介護であったが、おせいさんの手を煩わせることはなかった。自分のことは最後まで自分でした。息子が大好きだった。義父と夫のユーモアは天下一品だ。夕食は二人のユーモア合戦で、おせいさんは大笑いしていた。
恵美子はそれが気にいらなかった。
「私の家に俣木家が乗り込んできて、大笑いして。誰のお陰でこんなええ家で住めまんねん。私が優しいからや」
恵美子は皆の笑いの中で憮然としていた。おせいさんは、その顔を横目で見て、ご飯がまずくなったものだ。
そんな母も義父も天国に逝った。十年も前だ。二人ともイエス様を信じた。
義父は亡くなるとき、おせいさんに言った。
「泰三は人がいいから、騙されやすい。聖子さんがしっかり守ってやってや」
義父はシャロームが海のものとも山のものともわからない時に亡くなった。有料老人ホーム「晴れる家」の建物が新しく建つたびに、おせいさんは義父に語りかける。
「おとうさん、泰三さんが『晴れる家』を建てたよ。一生懸命、お年寄りやスタッフのために頑張っているよ」
義父に現在のシャロームを見せてあげたかった。銀行の融資が受けられず、誰にも借金できなかったおせいさんたちに、義父はいつも気前よくお金を出してくれた。
「金は生きてるうちに使うもんや。息子の一世一代の働きに親のすねが細るのは、ええことや」
天晴れな男だ。
義父の愛は今も生きている。義父にはもうすこし長生きしてほしかった。おせいさんと母とは葛藤の多い親子だった。義父と生活をして、愛というものを知った気がする。
恵美子は恵美子で最後まで自分を貫き通した。これも見事な老いの日々だった。義父はユーモア満載で、知恵にあふれて、恵美子の攻撃を巧みにかわしながら、楽しい人生を生きた。
一人ひとりそれぞれの老いがある。どんな老いの日々が備えられているのか、人間にはわからない。準備できることはある。しかし、死に方は自分では選べない。予想を立てられない。イエス様とつながっている老いの日々は、笑いがあり、生かされている喜びが湧き出てくる。老いを存分に楽しもうではないか。