360 時代を見る眼 私たちの賛美 コロナ禍を越えて〔1〕 試行錯誤しながら
日本同盟基督教会 多治見中央キリスト教会
山本陽一郎
1967年、東京。日本武道館にみことばと賛美の歌声が響き渡っていました。ビリー・グラハム国際大会です。「わが身ののぞみは ただ主にかかれり、主イエスの外には よるべきかたなし。わがきみイエスこそ すくいの岩なれ、すくいの岩なれ」(讃美歌280番)。歌手による賛美と、数千人から成る聖歌隊の賛美がありました。
その夜、一人の大学生が大会に参加していました。自らの罪と無力さに苦しんでいた青年にとって、説教とともに会場で聴いた賛美歌は大変まぶしいものでした。きよらかで力に満ちた神への歌でした。「これまでの生き方を転換し、もう一度新しい出発をしたい。イエスさまについて行こう。」その夜、彼は悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じました。この青年が、私の父です。そして、昨年末に天へ召されるまで、父は主を賛美し続けて歩みました。
賛美。それは私たちを愛してくださる神への応答であり、音楽を伴った祈りであり、人々に神を証しするものです。どんな時代や環境にあっても、神によって造られた私たちにとって、そのお方をほめたたえることが喜び、力、そして特権であることに変わりはありません。
しかし、ここ数年、私たちはコロナ禍を経験してきました。そして、この感染症の拡大が教会の礼拝、特に賛美に与えた影響は大きかったと言えるでしょう。
JEA宣教委員会宣教研究部門編『宣教ガイド2023』(いのちのことば社)には、コロナ禍における礼拝賛美のアンケート分析が載っています。
「通常どおり賛美した」24%、「曲を減らして賛美した」49%、「短縮で賛美した」31%、「小声で賛美した」30%。従来どおりの賛美が可能だったという教会もある一方、(礼拝プログラムとして)「賛美はしなかった」1%、「歌詞を朗読」1%、「歌詞を黙読」2%、「代表者のみの賛美」7%などもあります(複数選択方式の回答による)。
一人ひとり異なる感覚と見解、そして健康事情。国が出す宣言や耳慣れない単語、日々増減する感染者数……。さまざまなことを意識しながら、時には傷を負いながら、多くの教会が試行錯誤してきた日々だったのではないでしょうか。でも、それは主を礼拝したい、主に向かって心から賛美をささげたいという願いが私たちの内にあったからこその取り組みだったと思うのです。そして、その中から見えてきた大切なものがきっとあるはずです。