連載 まだまだ花咲きまっせ おせいさん、介護街道爆進中 第10回 風呂敷包み三個

俣木聖子
一九四四年生まれ。大阪府堺市在住。二〇〇〇年に夫の泰三氏が介護支援事業会社「シャローム」を創業したことを機に、その運営に携わる。現在は同社副会長。

 

今年も、おせいさんと会長は桜を観に行った。満開で、通りに桜のトンネルができていた。
「まあ、聖子さん、会長もご一緒で。お会いできて嬉しいわ。なかなかお二人には会えないからね」
シャロームの元ヘルパーさんだ。
「内倉さんもお元気そうですね」
会長が優しく声をかけた。
「私はもう九十二歳になるんです」
元ヘルパーは、思いがけない再会に感動して、涙声だ。
「そんなには見えないです。頭もしっかりされて」
「嬉しいですわ。聖子さんと会長に、桜の下でお目にかかれて。会長、お具合どうですか」
「足が悪くなりましたが、会社のことを考えているから、頭はしっかりしてるんですよ。ただ、動くのが大変なんですよ」
「若かったら会長のお世話をさせていただきたいですわ」
「お世話になりましたね。シャロームを始めたとき、第一号のヘルパーさんでしたね。内倉さんの働きのおかげで、シャロームは倒れんと来たんです。あの時のお働きがなかったら、今のシャロームはなかったと思いますよ。ありがとうございました」
「そんなこと、おっしゃっていただいたら、ヘルパー冥利につきますわ。あの時にお世話させていただいた健さまは、お坊ちゃまで、楽しい認知症でしたね」
内倉さんは、九十歳の認知症の男性を、昼夜分かたずヘルプした。大きなお屋敷で一人暮らしの方だった。息子さんは遠くで住まいを構えていた。
「頼りになる、ベテランのヘルパーさんが来てくれて、安心しています。何たって、面白いおばちゃんだから、親父は毎日楽しいでしょう。明るくって、お料理がうまい。最高のヘルパーさんですわ」
言葉遣いも挙措も上品な内倉さんだった。
八十歳になったとき、シャロームを退職した。
「これからは地域のお年寄りのために頑張ります」
独身の生涯だ。足腰も強かった。週に三日、地域のお年寄りを大仙公園に集めて、将棋やカラオケ、脳トレをして、楽しませていた。
「私は年寄りのアイドルなんですよ」とほっぺに指を当てて、目をぱちくりさせていた。
しかし、今年の桜の季節が終わったころに転倒してから、手押し車が必要になった。買い物に行くのも大変になった。
おせいさんの顔を見ると、「私、晴れる家に入れていただきますから、安くしといてくださいね」。
そう言いつつ、デイサービスには通っていた。
「スタッフが親切にしてくれますのよ。ご飯もおいしいし、いいとこですね」と有難がっていた。
スタッフが忙しくしていたら、認知症の方のお世話をし、面白いことを言って笑いをばらまく。内倉さんが来る日は助かると、スタッフが感謝していた。
そんなとき、自宅でまた転倒した。民生委員の方が救急搬送をした。
「ひと様に迷惑をかけるようになってはいけません。晴れる家に行きます」
あれよあれよという間に、晴れる家の入居が決まった。終の棲家はそこと早くから決めていたから、迷いもなく、不安もなく、事は早かった。
たくさんの荷物はすべて始末し、風呂敷包み三個だけで入居した。風呂敷包みで行くのも、ユーモラスでいいね。
ケアマネージャーも「さすが、天晴れ」とたたえていた。
おせいさんが晴れる家を訪問した。内倉さんがお風呂から上がったタイミングだった。
「まあ聖子さん、来てくれたのですか。お風呂に入れていただいて、別嬪さんになりました」と嬉しそうだ。
毎週の礼拝にも出て、聖書の言葉に触れている。歌の会では、歌詞も頭に入っていて、声量もあり、いい声でみんなと合唱する。
家で一人いたときは、不安で民生委員の方を時々呼び出し、ケアマネージャーにもよく電話があったらしい。
「ええとこへ入れていただいて、安心です。もう何も心配がなくなり、長生きしますわ。晴れる家を建ててくれて、有難いですわ。会長、ようやらはったですね」
元住んでいた家に帰りたいという方の多い中、喜んで生活をしている内倉さんは幸せだ。
こんな日が来たら、おせいさんも内倉さんのように風呂敷包み三個で晴れる家に行こう。無駄なものを潔く整理したら、子孝行だ。