特集 あらゆる手段で福音を
日本キリスト教団 勝田教会 牧師 鈴木 光
幼いころ、マンガが大好きだった私は、教会においてある聖書関係のマンガを片っ端から読んでいました。その中の一つで(何のマンガかは忘れました)、洗礼者ヨハネがヘロデに斬首されるエピソードを見て、強烈に印象に残ったことを思い出します。へロディアと娘のやり取りや、盆に載せられた首の表現など忘れられない場面です。あまり子ども向けの良い例ではないかもしれませんが、とにかくマンガには文章とはまた違った人をひきつける魅力があります。特に今やマンガは子どもだけのものではありません。多くの人に届く一つの強力なメディアになっていることは間違いないでしょう。
福音が教会にゆだねられてから、ありとあらゆる手段を用いてそれは伝えられてきました。考えてみれば、そもそも福音書そのものも一人ではなく、四人の人物によって記録されています。そこには四つの視点で記録されたからこそ、より実際の出来事を立体的に、そして忠実に伝えることができるという神様のはかりしれない深い知恵があると思います。
徴税人から使徒になったマタイ、ペテロやパウロと伝道してきたマルコ、自分と同じ異邦人の友人に伝えたいルカ、そして迫害のさなかで筆をとったヨハネ。それぞれの視点、それぞれの伝え方が組み合わさって、豊かに本物のイエス様が私たちに伝えられているのです。
そして今の時代には、文字で伝えられたものがさらに多くの人々の手によって、多くのメディア(やり方)をとおして私たちに届けられるようになってきました。マンガ、アニメ、映画、ドラマ、ゲーム、アプリ、さらに展開は続いていくでしょう。
それぞれの伝え方を通して一人でも多くの人に福音が伝えられていくのも、また大きな恵みだと思います。マンガを聖書そのものと同列に置くことはできませんが、直接的ではなくとも、福音と出会う一つの手段となることに私は希望を持っています。
さて、実際にマンガで聖書を描くことは、これまでにもすでに多くの人々が試みていますが、また一つ新たな視点とスキルで果敢に挑んだ力作が日本語訳されました。香港の作家、張文偉氏の『キング・オブ・キングス』です。
原題の『我是王』がよく表しているように、イエス様が「王」であることにフォーカスして描かれています。シリーズの第一巻(中国語の原作は全五巻予定の第四巻まで刊行中)にあたる今作では、イエス様の誕生から洗礼者ヨハネの活動の開始までが扱われています。聖書全体の流れから本題に入る最初のシーンには、ヘロデ大王が登場します。そして、人の罪が凝縮したようなヘロデの姿と対比するかのように、真の王として生まれてくるイエス様の姿が表現されています。
印象的なのは赤ん坊を殺そうと邪悪に笑うヘロデ王の表情と、東方の博士たちから贈り物を受け取る幼子にして王であるイエス様の表現でしょうか。いずれも言葉による説明ではなく、描き方そのもので表現するところに作者の意気を感じます。
他にもクリスチャンにとっては、「あ、それでこういう表現なのね」と思わずニヤッとする場面がいくつもちりばめられています。文章での用語の説明もコラムのように時折挟まっていますので、結びつきがわかるとまた楽しめるでしょう。聖書の予備知識がない人には、説明してあげることで興味を持ってもらうきっかけになるかもしれません。
もう一つの特徴は、当時のユダヤ人の社会の様子を感じ取れるように描いているところです。作者のあとがきでも、このために聖地で取材までしてきたことが書かれています。日本人向けで入門的にというのであれば、文化的な違いはできるだけ省いた描き方にするかもしれません。しかし、本作ではしっかりユダヤ的な背景も取り入れた表現が随所に出てきます。とはいえ、絵のタッチも日本のマンガとは違いますので、かえってスッと違いを受けとめて読めるのは翻訳マンガの良いところだと感じました。
皆さんはどう感じるでしょうか。新たな福音を伝える挑戦をぜひ手に取って見てみてください。