連載 まだまだ花咲きまっせ おせいさん、介護街道爆進中 第11回 難ケース

俣木聖子
一九四四年生まれ。大阪府堺市在住。二〇〇〇年に夫の泰三氏が介護支援事業会社「シャローム」を創業したことを機に、その運営に携わる。現在は同社副会長。

 

介護の仕事には多くの部門がある。
それぞれに悩みもいろいろある。
ケアマネージャー(ケアマネ)の仕事は、ご利用者の過去にも現在にも、これから先の生活の多くにも、かかわりを持つ。本人はもちろんのこと、その家族さんとのかかわりも大きなウエイトを占める。
お正月にゆっくり一泊の旅に出たケアマネ。
宿に着いた途端に携帯が鳴った。いやな予感がした。
「犬塚さんの息子様から、すぐ連絡欲しいと電話があったんです。『お正月でケアマネージャーはお休みをいただいてます』と言ったら、えらい剣幕で『オカンの命がかかってるのに、正月休みも糞もあるか』と怖いんです。お電話してもらえますか?」
施設の当直スタッフの遠慮がちな声。
難しい家族からだ。ケアマネは、ご利用者様のなんでもかんでも助けて当たり前やと、深夜であろうが早朝であろうがおかまいなしだ。こういう家族は難儀なケースと言う。
「すみません、お休みをいただいてまして」
「何のんきなこと言うとんじゃ。オカンが、こけて動けんのや。すぐ行ったってくれ」
「すみません。今は遠くに来てますし、無理です。ご家族様で対応していただきたいのですが」
「何言うとんねん。俺は正月やから、酒飲んでええ気分なんじゃ。なんで俺が行かなアカンのじゃ」
ケアマネは頭にきたが、ぐっとこらえた。押し問答の末に酔っ払いの息子が行くことになった。
「オカンになんかあったら、承知せんぞ。覚えとけや」
無理難題もこらえて聞いてはきたが、できることとできないことはわきまえてほしい。
人のいいケアマネは、旅館で泊まっている気分ではなくなった。そのまま、座りもしないでトンボ帰りをした。
これに類する難題のケースは山とある。
逆に涙の出る嬉しい話もある。
施設入居された菜穂子さん。腰が痛くてたまらない。
娘さんを新興宗教から脱出させるために教会で聖書を学んだ。真の神様に出会い、神様がはっきりわかってからは、猛アタックして娘さんを奪回した。
「腰が痛くて仕方ないのよ。お祈りしてくれない?」
そう言われたスタッフは、自信がなかった。
「私がですか? 先月洗礼受けたばかりですし、まだ人のためにお祈りしたことないんです」
「いいのよ。二人で祈ったほうが効き目があるのよ」
こんな新米クリスチャンでもいいのかと、遠慮がちに祈った。人のために祈ったことがなかった新米クリスチャンは、言い知れない爽やかさを体験した。
菜穂子さんは、腰に癌が転移して、間もなく召された。
そのスタッフの子どもさんが中学生になり、英語の塾に通うことになった。スタッフは塾の先生に初めて会った。
「シャロームさんにお勤めですか?」
スタッフはシャロームのユニホームを着ていた。
「母が『晴れる家』でお世話になったんですよ」
初めて祈らせてもらった菜穂子さんの娘さんだった。
「母を大切にしていただき、嬉しかったです。良いところで最期の時を過ごさせていただきました」とお礼を言われた。
自分の働いている会社がいい会社でよかったと、スタッフも嬉しくなった。
別の日。在宅で一人住まいの勝則さんが家で転倒した。
ケアマネが救急搬送をした。幸い骨折もなく、家に帰ってきた。しかし、酔いどれもいいところだ。息子さんに連絡した。
「明日東京から行きますが、それまでお願いできませんか?」
そう言われて、おせいさんとおせいさんの息子と二人で、勝則さんの横で一夜を明かした。勝則さんは高いびきだ。
眠れぬ一夜を明かしたおせいさん。簡単な朝食を見繕って作った。卵焼きに大根おろしを添えた。トマト入り味噌汁。アジの干物を焼いた。冷凍のご飯を解凍した。
「なんであんたがいるの? ご飯まで作ってくれて。うまそうやな」
勝則さんが起きてきた。昨夜の記憶はない。勝則さんの安心した、嬉しそうな顔を見ていると、介護人になった幸せを感じる。ご飯も作り、傍で寝てあげることもできた。
独居の年寄りが増えた。住み慣れた家で安心の老後をかなえてあげるのがシャロームの願いだ。