連載 神への賛美 第2回 「主の祈り」に見る賛美の恵み(2)

向日かおり むかひ・かおり
ピュアな歌声を持つゴスペルシンガー。代々のクリスチャンホームに育つ。大阪教育大学声楽科卒業、同校専攻科修了。クラシック仕込みの幅広い音域を持ち、クラシックからポップス、ゴスペルまで、幅の広いレパートリーを持つ。

 

先月から始まった、この「神への賛美」。賛美の恵みは日々尽きないのですが、この連載の前半はイエス様が教えてくださった「主の祈り」に目を留め、そこに見る賛美の素晴らしさを受け取っていければと思います。

「天におられる私たちのお父様。御名が聖なるものとされますように。」イエス様の祈りの言葉は、こう続きます。「御国が来ますように、みこころがなりますように」
今回は、この「御国が来ますように」という箇所に、目を留めていきたく思います。
御国。神様の国。天のお父様が、統治される国。
その国は、神様の主権が明確で、みこころがなっているところ。そこに行きたいですか? そこに住みたいですか? それはきっと、ものすごく素晴らしいところですよね!
ところがイエス様は、それが「来る」ように祈りなさいとおっしゃいました。
「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです」(マタイ18・20)
主は「いて」くださる方なのですね。
また、詩篇22篇3節には、「あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます」(新改訳第三版)、「イスラエルのさんびの上に座しておられる あなたは聖なるおかたです」(口語訳)とあります。私たちがこの地上において神様を賛美する時、やはり神様はそこに「いて」くださると聖書は語ります。
私たちの心というものは、心配や問題にさいなまれやすいなあと思います。しばしば、思い煩いに支配されたり。いえいえ、調子がいいなと思う時も実は問題で、どうでもいいことに没頭しすぎたり、はめを外しすぎたり。私たちは心の支配を他のものに渡していることが多いものです。
でも、天のお父様を呼び求める時、まるで下向きに伏せていたお椀をひっくり返すように、心は天の光を受ける。神様の存在そのもの、愛や、誠実や、尊厳、力、ありとあらゆる神様の素晴らしさが、私たちの心に訪れ、占めるようになるのです。
私たちはしばしば、自分で自分の人生の「主」となろうとします。「主」である自分が、自分自身とその人生をコントロールしなければ。でないと社会では生きていけない、競争に勝てないと頑張ります。実はそこに「心配」や「不安」があるのではと思います。
そして自分では治められないものを、人は「問題」と呼ぶのではないでしょうか。自分という小さなワールドを治めようとするけれど、どうしてよいのかわからない、困り果てた統治者のようです。
しかし、その統治を、神様にお任せしたら。
実は他の人たちも、それぞれの小さなワールドを統治しようと一生懸命です。でもお互いその法則や法律が違ったら。争いと利権の主張は絶え間なく起き続け、他者はまるで侵害者のように見えることでしょう。そこに「平和」はありません。
しかし、みんなで神様を「私たちのお父様」と仰いだら。
イエス様が生まれた最初のクリスマスの夜、天使たちは賛美しました。
「いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように」(ルカ2・14)
高いところ、天におられる神様に、すべての栄光をお返ししたら。誰ももう、比べ合うことも、奪い合うことも、憎しみ合うこともなくなります。その時、この地にいる私たちにも「平和」が訪れるのではないでしょうか。
神様の御子が天から「来て」くださった、この最高の夜。天の賛美を聞いたのは、貧しい羊飼いたちでした。彼らはなんと家畜小屋に眠るイエス様を探し当て、ついに礼拝しました! 最高の喜びを受け取ったのです。そして神様を賛美しながら帰っていきました。あたかも羊飼いたちに、天使たちの賛美が伝染したように。
ダイナミックで壮大な神様の国、その統治者である主は、まずこの小さな私の心の中に「来て」くださったのです。そして「インマヌエル」、共におられる神として、共に「いて」くださるのです。なんという幸いでしょう!
素晴らしい神様への賛美が伝染したように、この喜びが、世界中に伝染していきますように。私たちの唇に、いつも神様への賛美がありますように。そして私たちの心に、神様の統治が、まずありますように。