となりの人々 8 見えない場所で

見えない場所で
森住 ゆき
日本福音キリスト教会連合 前橋キリスト教会会員

 善を行うときには、「右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい」というイエス様の教え。これを曇りなく実行するのは簡単なことではないなあと思う。ある人がしみじみ言うのを聞いたことがある。人間は広場の片隅のほんの小さなゴミ一つ拾う瞬間にも、それを誰かに見ていて欲しいと願ってしまうものだ、と。

 専業主婦になったとき、家の中をただ昨日と変わりない状態に保つだけで、かなりの労力を費やすことがわかると、「昨日と変わらない」ことがちょっと淋しかった。外で仕事をする人も、変わらない笑顔で帰ってくるための労力は大変なのだから、そんなことを思うのはとってもバカなのに。

 それでも、神様を知っている者は、感謝の祈りとともに生きている。朝が来て、目が覚めて、普通に起きあがり、一杯の水を飲む。ただそれだけのことの中にも、神さまの恵みが満ち満ちていることを感じながら。

 神様は人間の目には見えない。だから、神様なんていないと思う人が多いのは仕方がないのかな。神様のお姿が見えないのにはいろいろな理由があると思うけれども、感謝されにくいということにおいて、これ以上の謙遜はないかもしれない。