ただ、そばに居続ける─「隣る人」となって 人が人を慈しむ「手触り」の映画として
稲塚由美子『隣る人』企画 映画を観たある人はこう呟いた。「自分が小さい頃の、抱きしめられなかった寂しい気持ちが呼び起された」「私の『隣る人』は誰だろう。私は誰かの『隣る人』になれるのだろうか」「舞台となった〈光の子どもの […]
ただ、そばに居続ける─「隣る人」となって 生まれて初めて味わう家族の愛
柏木道子大阪キリスト教短期大学 元学長 近年、新聞で児童虐待の記事が頻繁に報道され、心がひどくかきむしられる思いを感じていた。それらが氷山の一角であること、しかも虐待をするのは実の母親および関係のある父親がほとんどである […]
死といのちを見つめて 混沌とした難しい時代にホスピス
細井 順ヴォーリズ記念病院 ホスピス長 大規模災害、原発再稼働の流れ、安保関連法案可決、多死社会の到来など、生死を語らざるをえない時代が来ている。わが師匠、柏木哲夫先生は「ホスピスケアとはその人がその人らしく尊厳をもって […]
死といのちを見つめて 死と向き合って今を生きる
死は、日本では忌み嫌われてきました。日常「死」を話題にすることは、はばかられるのが常でした。しかし、そんな中でも、しばらく前から「デスエデュケーション」という言葉が知られるようになってきました。生と死について学び、尊厳あ […]
貫き通す!
―高山右近、その信仰と生涯 月刊マンガ「らみい」に連載された高山右近の生涯を描いた『キリシタン大名 高山右近』が出版された。
信仰面もしっかりと描かれた、その作品の魅力に迫る!
坂下章太郎さいたま福音キリスト教会/東京メトロポリタンチャペル 牧師 「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(口語訳聖書マルコによる福音書十六章十五節。フランシスコ・ザビエル宣教師が愛した主の大宣 […]
貫き通す!
―高山右近、その信仰と生涯 漫画家・青山むぎさんインタビュー!
◆なぜ、「高山右近」を題材に漫画を描こうと決心されたのでしょうか。 子どもたちの心が神様に向くようなもの、信仰の手本となるようなものを描けたらと考えていたときに右近を知りました。教会の二十周年記念会で、中村敏先生が日本キ […]
みことばに「聴く」―牧師室の霊想から
礼拝のために大切な説教を備えてくださる牧師の日々のディボーション、聖書の読み方をのぞき見! 少しずつ増えていった私の聖書読み
鈴木崇巨日本基督教団 上総大原教会 説教者 私は高校生になってから教会に通うようになりました。私を導いてくださったのは、日本語の上手な宣教師でした。主に紙芝居や外国製の聖画を使って「放蕩息子」の物語や「良い地に落ちた良い […]
みことばに「聴く」―牧師室の霊想から
礼拝のために大切な説教を備えてくださる牧師の日々のディボーション、聖書の読み方をのぞき見! みことばを魂の深みで聴く
堀 肇日本伝道福音教団 鶴瀬恵みキリスト教会 牧師 聖書は学問的な研究対象にもなりえますが、キリスト者にとって最も大切なことは聖書を信仰の成長・霊性の涵養のために読むということです。幸い今はさまざまな霊想書やデボーション […]
みことばに「聴く」―牧師室の霊想から
礼拝のために大切な説教を備えてくださる牧師の日々のディボーション、聖書の読み方をのぞき見! 胸に留め、思い巡らしつつ
遠藤勝信日本同盟基督教団 小平聖書キリスト教会 牧師 「私はあまりに忙しいので、どうしても三時間は祈らなければならない」と語ったというルターの言葉は、いつしか座右の銘となりました。しかし、多くの仕事を抱えている日の朝など […]
日本人にとって、イエスとは誰なのか 漁師さんの本音
守部喜雅 クリスチャン新聞編集顧問 漁師さんの本音 日本人にとって、イエスとはどのような存在であるのか―この究極ともいえるテーマを考えるうえで、昨年、宮城県の牡鹿半島の被災した漁村で体験した出来事から話を始めてみたいと思 […]
なぜ今、バックストンなのか 三つの力
中島信光日本伝道隊 塩屋キリスト教会牧師 第一の力は「イエスの血と聖霊の力」(ゼカリヤ4・6参照)です。「血は力です」とは先輩のクリスチャンからよく教えられたことばです。主イエスの血はわたしたちの罪を清め、またサタンに […]
なぜ今、バックストンなのか なぜバックストン師か
藤村和義日本基督教団 渋谷教会牧師 今年は、B・F・バックストンという英国人が来日して、百二十五年になる。彼は、準貴族の家に生まれ、ハロー校、ケンブリッジ大学をトップクラスの成績で卒業し、テニス、クリケットは代表選手だ […]
なぜ今、バックストンなのか バックストン著作集全十巻
中島秀一日本イエス・キリスト教団 荻窪栄光教会牧師 この度、バックストン来日百二十五年を記念して、いのちのことば社から「バックストン著作集 全十巻」が刊行される運びとなった。彼の日本宣教は一八九〇年から一九三七年に至る […]