砂漠の花園 最終回 喜びの知らせ
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 荒地砂漠の渓谷の中に、パームツリー(ヤシの木)が群生するオアシスがあります。そこを目指して暑く乾いた地を歩いていると、 太陽に輝く「アプリコットマロー」の明るいオレンジの花が目に […]
時代を見る眼290 聖書の言葉を生きる [2] 師匠キリスト、みことば先生に聴く
日本オープンバイブル教団 墨田聖書教会 牧師夫人 文筆家 宮 葉子 pray&hopeプロジェクトを立ち上げて10年になる。学び、祈り、分かち合い、賛美し、食する。教会活動の醍醐味を詰め込んだ、月に一度の大人の女 […]
リレー連載 牧師たちの信仰ノート 第4回「なくてならぬひとつのもの」(牧師の妻として)①
遠藤芳子(えんどう・よしこ) 1959年岐阜県生まれ。 お茶の水女子大学、聖書神学舎卒業。日本同盟基督教団 和泉福音教会伝道師。 牧師でない私がここに書かせていただくことに、かなり躊躇を覚えましたが、一献身者としての信仰 […]
私はこう読んだ―『聖書 新改訳2017』を手にして
第10回評者 阿部伊作 東京基督教大学図書館司書・学会認定アーキビスト。OMFザ・チャペル・オブ・アドレーション教会員。 読み方を変えさせる聖書 ① 手にとってみての感慨 歴史の中で 昨年、図書館内で宗教改革五百年を振り […]
『歎異抄』と福音 第十六回 追善供養の否定
先日、親族の死に際し通夜に出席した。駅近くの新しいセレモニーホールの会場は明るくて、葬祭ディレクターの洗練された司会進行に、かつての葬儀屋の雰囲気はない。浄土真宗本願寺派の導師の抑揚をつけた美声の読経は音楽的でさえあった […]
リレー連載 ことばのちから 第11回 「パン、パン、パン」自閉症H君のことば
今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」という名を冠する雑誌としても、その「ちから」について改めてご一緒に考えていきたいと思います。第11回目は、同志社大 […]
砂漠の花園 第11回 「神のすばらしい創造と設計」
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 冬の白い雪山、夏の赤茶けた荒れたはげ山、春の美しい緑と花が一枚の構図に収まるとき、「これぞ南カリフォルニア!」と思います。「一体何の季節?」とも思いますが(笑)。そして、今回この […]
289 時代を見る眼 聖書の言葉を生きる [1] 心にも特別なお手入れを
日本オープンバイブル教団 墨田聖書教会 牧師夫人 文筆家 宮 葉子 聖書の言葉を生きる [1] 心にも特別なお手入れを 『赤毛のアン』で物語に魅せられ、文学を専攻した。現実世界で人生がこんがらがったとき、結局、文学は役に […]
牧師たちの信仰ノート 第3回 みくに・ひとやすみを始めて十年目―気づいたこと
高橋伸多(たかはし・のぶかず) 日本同盟基督教団教師、みくに・ひとやすみ代表。 第3回 みくに・ひとやすみを始めて十年目―気づいたこと 前回、三十二年間続けた牧会奉仕を辞し、大阪・枚方から妻の実家(福井県・坂井市・三国町 […]
私はこう読んだ――『聖書 新改訳2017』を手にして
第9回評者 長尾 優 グラフィック・デザイナー。ロゴス・デザイン代表。 問いとしての聖書 「愛が生まれて そして 息絶えるまで 時間はどのくらい?」(「愛すること」より)と辛島美登里は歌い、森山良子は「ねえ いちばん愛し […]
『歎異抄』と福音 第十五回 倫理の内面化はおこったのか
『歎異抄』と福音 第十五回 倫理の内面化はおこったのか 難しい行はいらないとしつつ、自身は行を堅持した法然。信のみとしながら、極悪人には良き師について悔い改める行を求めた親鸞。信のみに徹しようとする者が、それではどう生き […]
ことばのちから 第10回 優れたことばには音楽がある
ことばのちから 岩渕まこと 第10回 優れたことばには音楽がある 今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」という名を冠する雑誌としても、その […]
砂漠の花園 第10回 ゴールドに光り輝く地
砂漠の花園 第10回 ゴールドに光り輝く地 フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 カリフォルニア州のニックネームはゴールデン・ステイトです。ゴールドが発見されたこと、また、春になると、カリフォルニアポピーやワイルドフ […]