時代を見る眼288 経済から福音を考える [3] 共に生きるために
日本メノナイトブレザレン教団 福音聖書神学校 教務 石橋キリスト教会 副牧師 南野浩則 申命記15章11節に「あなたの地にいるあなたの同胞で、困窮している人と貧しい人には、必ずあなたの手を開かなければならない」とあります […]
リレー連載 牧師たちの信仰ノート 第2回 静まりから生まれたもの(みくに・ひとやすみ開設)
高橋伸多(たかはし・のぶかず) 日本同盟基督教団教師、みくに・ひとやすみ代表。 前回、救いから献身、牧会の迷いの中で主の前に静まることに出会い、どのような変化を経験したかを書きました。一番変わったのは、自己否定から自己肯 […]
私はこう読んだ―『聖書 新改訳2017』を手にして ことばのなかのことば
第8回評者 野田 秀 一九三二年生まれ。東北大学法学部、インマヌエル聖宣神学院卒業。東京フリーメソジスト桜ヶ丘教会協力牧師。 ことばが壊されてしまった時代 ある人が現代を「ことばが壊されてしまった時代」であ […]
『歎異抄』と福音 第十四回 法然と親鸞にズレはあるのか?
大和昌平 東京基督教大学教授 悪人こそが救われるという悪人正機説は、近代以降日本人の心を捉えてきたが、これは法然が唱えたものであった。親鸞はその弟子だったが、師とは異なる道を歩み出した。その差異は拠り所とす […]
砂漠の花園 第9回「美しい装い」
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 葉のないヒョロ長い茎がスーッと伸びる「ブルーディックス」。50センチほど高く伸びた茎の上に咲く紫の花が、風でゆらゆら揺れています。その花をよく見ると、いくつもの花が集まって、それ […]
時代を見る眼287 経済から福音を考える [2] 富者への警告
日本メノナイトブレザレン教団 福音聖書神学校 教務 石橋キリスト教会 副牧師 南野浩則 ヤコブの手紙5章1節には富者への警告が「金持ちたちよ、よく聞きなさい。迫り来る自分たちの不幸を思って、泣き叫びなさい」と記されていま […]
牧師たちの信仰ノート 第1回 静まりに導かれて(みくに・ひとやすみ以前)
高橋伸多(たかはし・のぶかず) 日本同盟基督教団教師、みくに・ひとやすみ代表。 私は、一九五〇年、大阪で生まれました。キリスト教との出会いは、幼少期に大阪キリスト教短大付属幼稚園に一年あまり通っていたときに遡ります。しか […]
私はこう読んだ―『聖書 新改訳2017』を手にして 長血の女性の箇所を読む
第7回評者 大嶋裕香 東京都生まれ。上智大学文学部卒。鳩ヶ谷福音自由教会会員。 私はディボーション、聖書通読には新改訳第三版を使っています。大学一年生で信仰をもったとき、母教会で使用していたのは口語訳でした。その後新改訳 […]
『歎異抄』と福音 第十三回 悪人こそが救われる
東京基督教大学 教授 大和 昌平 悪人こそが救われる。宗教におけるこの大胆な逆説が、悪人正機説(悪人こそが救済の対象という意味)である。そして親鸞と言えば悪人正機説であり、悪人正機説と言えば『歎異抄』だと世に知られている […]
ことばのちから 第8回 ことばと音楽がつくる平和
シンガーソングライター 沢知恵 今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」という名を冠する雑誌としても、その「ちから」について改めてご一緒に考えていきたいと […]
砂漠の花園 第8回 焼けつく土地でも、潤った園のように
フォトグラファー サンティラン 前田登茂恵 ビーバーのしっぽがたくさん集まったようなビーバーテイルサボテン。その一つのビーバーのしっぽのような形をしたサボテンに、花のつぼみが3~5個くらい付くのですから、しっぽが10個集 […]
時代を見る眼286 経済から福音を考える [1] 神の国とその義
日本メノナイトブレザレン教団 福音聖書神学校 教務 石橋キリスト教会 副牧師 南野浩則 私に与えられた課題は、経済の視点から聖書とこの世界を考えることです。経済とは「経世済民」という言葉に由来します。元来は […]
『歎異抄』と福音 第十二回 親鸞一人がためなりけり
大和昌平 ◇「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」(第二章)|いかなる行もなしえないわが身にとっては、地獄は定めてわが住まいなのです。 近代青年の恋や性の悩みを背景にして、この親鸞の言葉によ […]