リレー連載 ことばのちから 第7回 言葉と文化
今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」という名を冠する雑誌としても、その「ちから」について改めてご一緒に考えていきたいと思います。第7回はシンガーソング […]
砂漠の花園 第7回 ミラクルライフ(奇跡の人生)
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 南カリフォルニアの砂漠には、バッドランド(悪地)と呼ばれる、結合度の低い堆積物からなる地層が風雨により極度に侵食された、峡谷状の荒地地帯があります。砂のようなルースな堆積相の峡 […]
285 時代を見る眼 いのちをみつめて [3] 真の豊かさ
マナ助産院 院長 永原郁子 マナ助産院では17年前に性教育グループ「いのち語り隊」を立ち上げ、いのちと性の大切さを伝える講演活動をしています。昨年度は150か所で語らせていただきました。 現代の性教育は性行動の決定権は自 […]
私はこう読んだ ―『聖書 新改訳2017』を手にして
第5回評者 野村天路 京都大学卒業。日本福音キリスト教会連合生田丘の上キリスト教会牧師。聖書宣教会講師。 ツァウにツァウ、カウにカウ 新改訳の改訂版である『聖書 新改訳2017』が出版されました。今回の改訂では、旧新約聖 […]
『歎異抄』と福音 第十一回 地獄は一定すみかぞかし
大和昌平 近代日本の『歎異抄』ブームは、倉田百三の『出家とその弟子』が発端だったが、その背景には暁烏敏(一八七七~一九五四)の『歎異抄講話』という書物があった。暁烏は現在の石川県白山市にある浄土真宗大谷派の明達寺に長男と […]
リレー連載 ことばのちから 第6回 人格的な神のことば
蔡 香 今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」という名を冠する雑誌としても、その「ちから」について改めてご一緒に考えていきたいと思います。第5回に引き続 […]
砂漠の花園 第6回 力と勇気の源
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 サンドバーベナは、その名のとおり、砂地に咲くバーベナです。私が住んでいるビーチ沿いの砂地にも6月頃に少しだけ咲きますが、内陸の砂漠の砂地には、3月頃にたくさん咲きます。私が砂漠の […]
時代を見る眼284 いのちをみつめて [2] 声なきいのちの声
マナ助産院 院長 永原郁子 今年も早々から乳児の遺棄事件が後を絶ちません。1月6日に茨城県常総市でへその緒がついた赤ちゃんの遺体が用水路に捨てられていました。1月12日には愛知県豊田市で11か月になる三つ子の次男が母親に […]
私はこう読んだ―『聖書 新改訳2017』を手にして 第4回
第4回評者 下川友也 元東京基督神学校校長。 日本同盟基督教団、日高キリスト教会牧師。 読むほどに味わい深い 私の聖書歴から 『新改訳』以前、当然のように私たちは口語訳を読んでいた。私にとってはこれが約十二年間。特に一九 […]
『歎異抄』と福音 第九回 「よきひと」との出逢い
大和昌平 『歎異抄』第二章は、はるばる東国から京都の親鸞を訪ねてきた弟子たちと親鸞との命がけの問答の記録である。助けを求めてきた弟子に対し、そっけなくも見える態度の親鸞から、法然を「よきひと」と敬仰する絶対随順の心が表さ […]
リレー連載 ことばのちから 第5回
リレー連載 ことばのちから 今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」という名を冠する雑誌としても、その「ちから」について改めてご一緒に考えていきたいと思い […]
砂漠の花園 第5回 主にあって生きる勝利の人生
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 一年のほとんどが茶色の砂漠、はげ山の荒地が、春になるとカリフォルニアの州花、「カリフォルニアポピー」でいっぱいになるようすは、何とも美しく息を飲みます。明るい太陽の下、広い大地や […]
時代を見る眼 283
マナ助産院 院長 永原郁子 いのちをみつめて [1] いのちのはじまり 神戸の北野の異人館辺りからさらに六甲山系の山並みを車で15分ほど登ったところにマナ助産院はあります。ここでこれまでに2100人ほどの赤ちゃんが産声を […]