リレー連載 ことばのちから 第3回 人と人の間にあるもの
株式会社こぐま社相談役 佐藤英和 今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」という名を冠する雑誌としても、その「ちから」について改めてご一緒に考えていきたい […]
あたたかい生命と温かいいのち 第十四回 止揚学園に息づいている心
福井 生 「どうして止揚学園の人たちはあんなに落ち着ついて食事をすることができるのですか」 止揚学園に見学に来られたお客様がそんな質問をされました。その日は各テーブルで鍋を囲み、みんなで温かい食べ物を、気分も温かくしてお […]
砂漠の花園 第3回 喜び歌って、主の栄光を見る
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 三月、春がやってきました。私の大好きな南カリフォルニア砂漠のワイルドフワラーシーズン到来です! ウキウキします。 私がほぼ毎年写真を撮りに行くのが、カリフォルニア州で一番大きな州 […]
時代を見る眼 281 新しい季節をどう生きるべきか [2] それぞれの計画の「主」
宣教師 キャロリン愛子ホーランド 私が聖書の学びや子育てセミナーを始めるにあたって最初に話すテーマがあります。それは神のオリジナルデザインについてです。神様を知ってもらううえで、創世記の1章から3章を理解す […]
『歎異抄』と福音 第七回 十字架における神の義と愛との違い
大和昌平 「罪悪深重煩悩熾盛」と畳み掛ける表現は、一度聞くと忘れられないインパクトがある。『歎異抄』第一章には、生きるものが根底に抱える悪性ゆえの苦しみへの阿弥陀仏の憐れみが語られていた。印象的な表現を再度引く。 ◇「弥 […]
リレー連載 ことばのちから 第2回 「ことば」をたべる
美馬 里彩(みま・りさ) 関西学院大学社会学部社会福祉学科卒。社会人経験を経て、現在、大阪教育大学大学院在学中。 キヨさん(仮名)は、福島県の復興住宅にひとりでお住まいの七十代の女性です。東日本大震災の津波でご家族三名を […]
あたたかい生命と温かいいのち 第十三回 尊い生命との対話
福井 生 1966年滋賀県にある知能に重い障がいを持つ人たちの家「止揚学園」に生まれる。生まれたときから知能に重い障がいを持つ子どもたちとともに育つ。同志社大学神学部卒業後、出版社に勤務。しかし、子どものころから一緒だっ […]
砂漠の花園 第2回 忍耐して待った結果得られるもの
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 砂漠の照りつける太陽の下、「砂漠たんぽぽ」がまぶしいほどの黄色に輝いて咲きます。咲き始めは真ん中が固まって濃いオレンジ色をしているのですが、成長するにつれてどんどん広がっていき、 […]
時代を見る眼 280 新しい季節をどう生きるべきか [1] 神の前に心を探っていただく
宣教師 キャロリン愛子ホーランド 昨年60歳になった私はよく、「還暦ですね!」と言われました。意味はわかっていても私にとってはあまりピンと来ませんでした。しかし、意外と節目の年になったのは不思議です。10年ほど前から一人 […]
リレー連載 ことばのちから 第1回 「ことばのたね」を育てる
美馬 里彩(みま・りさ) 関西学院大学社会学部社会福祉学科卒。社会人経験を経て、現在、大阪教育大学大学院在学中。 今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」 […]
『歎異抄』と福音 第六回 罪悪深重の自覚から
大和昌平 現代日本人が親鸞に強く心を惹かれるのは、なぜなのか。それは仏教が好きだというのとは次元が異なる。『歎異抄』が現代の古典として読まれているのは、なぜなのだろうか。人間の持つ根源的な罪悪への真摯なまなざしを、親鸞の […]
あたたかい生命と温かいいのち 第十三回 尊い生命との対話
福井 生 1966年滋賀県にある知能に重い障がいを持つ人たちの家「止揚学園」に生まれる。生まれたときから知能に重い障がいを持つ子どもたちとともに育つ。同志社大学神学部卒業後、出版社に勤務。しかし、子どものころから一緒だっ […]
砂漠の花園 第1回 小さくても美しく躍動するいのち
フォトグラファー サンティラン前田登茂恵 日本の皆様、南カリフォルニアから、新年明けましておめでとうございます。そして、初めまして! 南カリフォルニアというと、皆様、何を想像されるでしょうか。青い空とビーチでしょうか。い […]