最後の1時間の人にも
朴栄子(在日大韓基督教会・豊中第一復興教会牧師)
牧師になって14年、苦しかったことも数々ですが、それをはるかに上回る恵みがありました。折に触れて思い出すのは、Sさんの最期のことです。
葬儀は伝道者として心躍るといったら語弊があるかもしれませんが、命がけの、そして大好きなミニストリーの一つです。しかし、牧師になりたての当時は、戦々恐々でした。
中でも社会的地位があり、頑固でワンマンだったSさんの葬儀を、娘のような年齢で社会経験も乏しい私のような者が、キチンとできるのかとひそかに悩んでいました。
学生時代に洗礼を受けたものの、仕事とゴルフに明け暮れて、礼拝出席はクリスマスぐらい。そんな彼の信仰を呼び覚まし、天国への確信をもってもらいたいと苦心しました。神様は若葉マークの私を、病床のSさんを通して鍛え、喜びと自信をもってみくに御国へと送り出せるだけの時間と機会を、十分に与えてくださいました。
何度も見舞いました。照れ屋さんでいつもジョークではぐらかすうえ、脳の病気のために集中力のなくなっているSさんに、みことばの剣で刺すようにして悔い改めの祈りへと導く方法も、聖霊によって教えていただきました。
最期の日のこと。妻のFさんから、苦しそうだという連絡がありました。「Sさん、神様が共におられるから、大丈夫ですよ。すぐ行きますからね!」と言って、私は電話口で短く祈りました。途中ゼイゼイと荒い呼吸が聞こえ、心臓がキュッとなりました。そして祈り終えると、「アー」という大きな声が聞こえたのです。
それから30分後に召天され、臨終には間に合いませんでしたが、あの声は「アーメン」だったのか「ありがとう」だったのか。どちらにしても心に残る、最後の会話でした。
「ぶどう園のたとえ」で、ギリギリ最後の1時間にほんの少し仕事をした人にも、「この最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです」(マタイ20:14)と言われたイエス様を思いました。人生の最後に駆け込んだSさんにも、平安な終わりの時と信仰を与えてくださった主に栄光をお返ししました。
伝道をしながら手ごわい人がいると、この人はなかなか救われないだろう、この人は難しいんじゃないか、などとかってに判断したり後ろ向きになってしまったりすることがあります。
また、信徒といえども安心はできません。脱落したり、長期冬眠に入ったり、反抗したり、一筋縄ではいきません。
それでも神様が見せてくださった、最後の1時間の人に対するあわれみを思う時、また勇気を出して立ち上がることができるのです。