イエスを離れては何もできない
日本のみなさん、お元気ですか。2010年から15年まで6年間、日本のプロ野球でプレーしたマット・マートンです。世界中に広がった新型コロナウイルスの感染が終息するように、平和な日々が戻るように、日本のためにいつも祈っています。私は今、シカゴ・カブスのフロントオフィスの一員として、マイナー球団の育成や指導に当たっています。
阪神タイガースでプレーできたことは、私にとって喜びであり、何事にも代え難いすばらしい経験でした。また、その経験はタイガース・ファンをはじめ、多くの日本の方々と出会えるすばらしい機会を私に与えてくれました。創造主である神は私たちに多くのことをなしてくださいました。その方の栄光のために、日本の人々に少しでも仕えることができ、その機会を通して全世界の人を愛してくださる主を賛美できたことを感謝しています。
主イエスとの出会いについて最も印象にあるのは、私の周りの主に従って生きていた人々、特に両親がロールモデル(模範)となったことです。また、幼い頃から通った教会の日曜日の聖書クラスで、イエスについてよく学びました。学ぶだけではなく、クリスチャンを通してイエスに触れ、自分自身の目でイエスが生きておられるのを見たのです。とてもリアルな経験でした。そして、自分もイエスに従っていくことを選んだのは6歳の時でした。自宅のテーブルの下で、母親の手を握り、目をつぶってお祈りしたことを今でもはっきり覚えています。
いつも励まされている聖書の箇所は、詩篇23篇と37篇4節です。私は詩篇が大好きです。それから、ヨハネの福音書15章5節と15章全般の、まことのぶどうの木の教えです。この箇所は、イエスから離れて私たちは何もできないことを教えています。置かれている状況がどうであれ、イエスは私たちを助け、共に歩んでくださると約束してくださっています。つまり、私たちが山にいても谷間にいても、人生のどんな局面にあっても、イエスは共にいて私たちに目的を与え、将来に計画をもっていてくださるのです。
イエスを知るシンプルな方法の一つは、自分を取り巻く状況や、もろもろのことがらを注意深く観察してみることです。子どもの誕生であろうと、宇宙や地球の仕組みであろうと、神が私たち人間のためにあらゆることを行い、与えてくださったことに気づくはずです。海の魚でも、木の上の昆虫でも、神は細部に至るまで十分に気を配って造られました。ですから創造そのものが神の存在を示し、イエスが誰であるか、私たちをどれほど愛してくださっているかを示しています。それに気がつけば、イエスが私たちに永遠のいのちを与えるために、十字架の死を選ばれたことを理解できるようになるのです。
イエスを受け入れ、従うことほどすばらしいことはなく、イエスを超えるメンタル・コーチはいません。イエスが生活の中心にあるとき、他のすべてのことは心配しなくていいのです。私も自分の力に依存してしまい、真の力の源であるイエスに十分頼っていないことがあります。そのような時、いつも聖書のことばがイエスを思い出させてくれるのです。