父の日に寄せて
「神様は決して諦めていなかった」
6月の第3日曜日は「父の日」。改めて家族伝道を考えてみる機会としてはどうだろう。
昨春「クリスチャン新聞」に掲載され、大きな反響のあった、同紙記者・中田朗の証しを再掲する。
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「朗、洗礼はどうやってやるのかね」
昨年12月24日のクリスマスイブ、実家を訪れた時に、98歳の父(修)が私に発したひと言だった。長年、無宗教で来た父が突然そう発したことに、私はびっくりした。
とりあえず、浸礼と滴礼について説明し、「お父さんの場合は、牧師が実家に来て洗礼を授けてくれると思うよ。だから滴礼かな」と語った。帰り際、私はさらにこう付け加えた。「人生は長くて100年、でも天国では永遠。天国に行くにはイエス様を信じるだけ。天国にいる透(私の長兄)にも会えるから、だまされたと思って受けてみたら」
透は統合失調症で50年近く精神病院に入院していた。だが、召される10か月前の2018年5月に、日基教団・深沢教会の齋藤篤牧師により信仰告白に導かれ、病床洗礼を授けてもらっていた。だから父には「透はこの地上では痛みと苦しみ、悲しみの人生だったけれど、今はイエス様のもとで安らかに暮らしているよ」と言い続けていた。
12月30日、今度は妻と娘と一緒に実家を訪問。一緒にお寿司を食べ、しばらく雑談をし、そろそろおいとましようと帰りかけた時、父はポツンとこう漏らした。「死ぬ前に洗礼を受けておこうかね」
「ぜひ受けてよ」と念を押すと、「暖かい時期になったら受けてもいい」との返事だった。これは相当、決心が固いと思った。それで年明け早々、齋藤牧師と一緒に実家を訪ね、父の意思を確認した。父ははっきりとこう語っていた。「洗礼を受けたいいちばんの理由は、天国で透と会いたいから」。そして2月21日、実家で洗礼式が無事執り行われた。
ちなみに、その日はちょうど透の召天2年目に当たる日だった。正直、暖かい時期まで待てなかったので、「2月21日はどう?」と私が提案したところ、父は「分かった」と快く受け入れてくれたのだ。そして、当日はまさに春を思わせる暖かい陽気となった。
父が救われて、本当に肩の荷が下りたようにホッとした。一方で、複雑な思いも私のうちをめぐっていた。なぜなら、私はある時期、「私の家族は絶対救われない」と思い込んでいたからだ。
私が信仰を持ったのは高校2年の秋、今から40年以上前の頃だ。救われたばかりは熱心なので、家族に一生懸命聖書の話をしていた。だが、みな無反応だった。特に父は「私は宗教というものは信じない」と言い切っていた。
父は大学教授で、父の薫陶を受けた教え子もたくさんおり、尊敬もされていた。半面、頭がよくて何でも自分でできてしまうので、宗教は弱い者がするものと思っていた。私に対しては「キリスト教を信じて何のご利益があるのかね」が口癖だった。だから、ある時期から家族、特に父には、聖書について話すのをやめた。祈るのもやめてしまった。要するに「家族伝道を諦めた」のだ。そして、家族とも疎遠になっていた。
ところが、神様は6年前に再び家族と向き合うきっかけを作ってくれた。2015年12月、父は実家の2階の階段から転げ落ち、背中を強く打った影響で歩けなくなってしまった。そのため、私たち夫婦に「助けてほしい」と連絡が来た。私たちはすぐに行動を起こし、妻は老人ホームにいる母の介護を担当し、私は精神病院にいる透のところに2週間に1度、衣類交換に行くことになった。
それから約3年後、今度は透が誤嚥性肺炎にかかり、もっと高度な治療ができる病院に転院。医者の診断では、「透さんは肺に入った食べ物を吐き出すだけの力がなくなってきている。これからどんどん状態は悪くなっていく」と言われた。私は本当にショックだった。
しかし、透の病室を訪れた時、「この時を逃したら、もう信じる機会はないかもしれない」という思いが入ってきた。いてもたってもいられなかった私は、お世話になっている齋藤牧師に「私の兄を信仰告白に、できれば洗礼にまで導いてほしい」とお願いし、それを決行。齋藤牧師の「天国に行きたいですか」「イエス様を信じますか」「洗礼を授けてもいいですか」の問いに、透は赤子のようにすべて「はい」と答えた。
それから10か月後に透は召天。だが、今度は父の姿に驚いた。透が亡くなった翌日、父は「透は本当にかわいそうな子だった」と、ずっと号泣していたのだ。そんな父に私は、「大丈夫、透はイエス様を信じ天国に行ったから。天国ではイエス様のもとで安心して過ごしているから」と伝えた。
この時から、父は大きく変わった。私たちが語る聖書の話にも耳を傾けるようになった。透と、18年6月に亡くなった母の納骨の件で「深沢教会のお墓に納めるのはどう?」と提案したところ、「わかった。教会さんにすべてお任せする」ということになり、透の1周忌に埼玉県の入間メモリアルパークにある深沢教会のお墓の前で納骨式をした。そして、その1年後に父は洗礼を受けた。
この一連の出来事を通じて、私は確信した。「家族の救いに対し、私は諦めても、神様は決して諦めていなかったのだ」と。父は今、復活した透との天国での再会を楽しみにしている。
(「クリスチャン新聞」2021年4月4日号より)
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