EHCジンバブエ~「天国」を再び見いだす~

◆海外からの文書伝道レポートを紹介します
 

トンガ族への宣教

 ジンバブエのトンガ族が住んでいたザンベジ川のほとりは、天国のようなところでした。すばらしい滝があり、緑が茂り、象やしまうまなどの動物たちがゆったりと水を飲む姿を見ることもできるようなところでした。長年、有名な宣教師デイビッド・リビングストンが過ごした場所でもあります。リビングストンはザンベジ川を、アフリカの各地に福音を伝えるための「神様のハイウェイ」だと思っていました。

 トンガ族にとって、リビングストンは欠かせない人でした。彼が亡くなった時、リビングストンの家族が遺体を英国に運びたいと申し出ると、トンガ族は、「どうぞ。しかし彼の心はアフリカに残っています」と答えたほどでした。当時、リビングストンによって多くのトンガ族がイエス様を信じました。しかし、時がたち、世代交代が何度も進み、せっかくの福音の実も枯れていってしまいました。
 1950年代になると、トンガ族はダム建設のため、政府から一方的に移住を強いられました。約57,000人のトンガ族が肥沃なザンベジ川のそばから、干ばつもある、貧しい土地へと移されたのです。ダムにより南部に電気が通る計画でしたが、そのためにトンガ族が支払った犠牲は大きなものでした。彼らは水と食糧、そして収入の源を失ったのです。 

チャートを使ったアウトリーチの様子
屋外の教会でトンガ族の信者たちに説教をする地域教会の牧師

 仕事のないトンガ族は、まさに遊牧民のようでした。しぶしぶ信頼をしていない政府からの援助を受け、子どもたちは学校に通わず、人々はマリファナを吸ったり、大量のアルコールを飲んだりするようになりました。そんな中、EHCはこのトンガ族に福音をもう一度伝えたいと願ったのです。  
 
 トンガ族へのアウトリーチは1995年に始まりました。EHCアフリカ大陸ディレクターのクレオパ・チタパは当時、まだ若く、理想主義の牧師でした。ジンバブエでの宣教の使命はありましたが、まだ具体的な場所について確信がなかったのです。そんな中、前EHC国際総裁のディック・イーストマン師の訪問を受けました。「福音は全ての人のためだよ。どの部族の人でも、みんなだよ」ということばが耳に残りました。神様はクレオパの心に、「希望を失った人たち」に福音を伝えたいという思いを起こしてくださり、現在に至っています。
 クレオパはジャングルの中を通って約480㎞も歩き、やっとトンガ族の村に到着しました。クレオパは、伝道する許可をもらうために村長を訪ねたいと思いましたが、村長は大きな権力をもっていて、神秘的な家に住み、近寄り難い人でした。クレオパは数週間後、ようやく村長に会うことが許され、彼の家を訪問しました。多くの妻、長老たちに囲まれ、危険を感じましたが、恐れはありませんでした。

礼拝で祈りと賛美をささげる信者

 当初、クレオパは、村長が伝道を許可してくれればよいと思っており、伝道するつもりはありませんでした。アフリカでは、目上の人より多く知識があるような行動を取ると、時には危険にさらされることがあったのです。しかし、クレオパは導かれるまま、持参した福音文書から福音を伝え始めました。ページを1枚、また1枚とめくり、罪について、罪からの解放について話を進めました。
 そして、クレオパは村長に、「もし、あなたがイエス様を心に迎え入れれば、もう暗闇はなくなります」と語りました。「イエス様を信じると暗闇がなくなる」ということばが村長の心に強く刺さったようです。「私もそのイエスという人を受け入れたい。祈ってくれ」と村長が言いました。クレオパが村長をイエス様への信仰に導いたので、周りにいた長老たち、妻たちは驚きました。そして周りにいた長老たちも、「祈ってほしい。その暗闇を取り去ってくれ」と言ってきたのです。
 結果として、クレオパは村全体に福音を伝えることができました。トンガ族に新しい風が吹き、福音の良いニュースが伝わった瞬間でした。そののち、クレオパはイエス様についての映画の上映会を行い、村中の人が集まりました。映画を上映して終わるのではなく、福音を伝え、イエス様を信じる招きをしました。結果として、たくさんのクライスト・グループ(信仰者・決心者の集まり)ができ、信じたあとのフォローアップにもつながりました。
 
 トンガ族はダム建設のために無理やり移住させられ、真っ暗な人生でした。しかし、神は彼らをずっと見守り、多くのトンガ族を神の民としてくださいました。一度失われたパラダイスが、再発見されたのです。
(EHC国際本部ブックレットより)