リハビリテーションとイエス様

飯沼 優理学療法士

超高齢化社会を迎えたわが国では近年リハビリテーション(以下リハビリ)という言葉をよく耳にします。リハビリと聞いてまず思い起こされるのは、病気や骨折などの怪我のために負った後遺症を回復させるための機能訓練ではないでしょうか。しかし、リハビリテーション(rehabilitation)という言葉はラテン語で「re」=「再び」、「habilis」=「人間らしい」「できる」という意味で、「再び人間らしく生きる」という意味になり、私自身はリハビリテーションの本質は「人間性の回復」であると捉えています。
私はキリスト教とは無縁の環境で生まれ育ち、何不自由なく生活していたものの、思春期には生きる目的や愛について考え、心に満たされない思いを常に抱えていました。今は妻となっている当時の彼女がクリスチャンだったこともあり、大学生の時に神様に導かれて洗礼を受けました。信仰が与えられても愛のない自分がすぐに変わることはありませんでした。しかし、神様はさまざまなことを通して私自身を「人間性の回復」へと導いてくださいました。 
私はリハビリを学んで約20年、洗礼を受けて約20年になりますが、最近やっと自分の中でリハビリと信仰が結びつき始めたのを感じます。聖書の中にはイエス様が病人を癒やした場面が多くあり、その中にリハビリの本質がちりばめられています。ツァラアトに冒された人にわざわざ触れて病を癒やしたイエス様は、癒やされたことを祭司に見てもらうように勧めます。当時の社会ではツァラアトに冒されると、神殿に入ることができず、ユダヤ人のコミュニティに入れなかったようですが、祭司にきよくなったことを認定してもらい、社会の中に戻っていってそこで生きなさいとイエス様は言うのです。イエス様の癒やしは、病の癒やしにとどまらず、社会に復帰して生きていくことも包含したまさに「人間性の回復」であると感じています。
リハビリを行っていると、再び歩けるようになった方が涙を流して喜ぶ場面に遭遇することがあります。失ったものを取り戻したときの喜びは、最初にそれを得たときの喜びより何倍も大きいものだと思わされます。一度失われた機能を取り戻す喜びと、救いの喜びには共通点があると感じています。失われたものを取り戻す喜びを必要な人に届けたい、病院の中のリハビリでは行うことができない「人間性の回復」にまでしっかり届くリハビリを提供したいという思いでリハビリ職種の仲間たちとNPO法人を立ち上げ、法人の名前を大きな喜びを意味する「Rejoice」と生活や命を意味する「Life」から、「Rejo Life」としました。
最初の事業は私を含む心臓リハビリの専門家が集まっていたこともあり、畑仕事や山登りなど、その人の生きがいとなっている趣味の支援を行い、心臓病があっても活き活きと生きていけるように専門的な知識と医療機器を用いて行う支援事業から展開しています。
私たちの活動はまだ始まったばかりで小さなものですが、イエス様が時間をかけて私に伝えてくださったリハビリの本質である「人間性の回復」を今という時代に合う形で具現化し、出会った一人一人に伝えていきたいと願っております。