もしクリスチャンじゃなかったら
私は幼い頃から母に連れられて行った日曜学校で聖書に親しみながら育ちました。当初は教えられたことをそのまま信じていましたが、思春期に勉強へ打ち込む中で、聖書の正しさを疑うようになり、教会から距離を置いた時期もありました。
受験に成功して東京大学へ進学し、神に頼らなくても、自分の努力で人生を豊かにできるかのような自我が芽生えました。一方、実家や教会から離れたことで、心の中にコントロールできない大きな罪の性質があることを自覚し、紹介された東京の教会へ再び通い始めます。そこで信仰に熱く生きる同世代の若者たちと出会い、この人たちと同じように明るく前向きに生きたいと願い救いを受け入れました。信仰の友と教会で過ごした時間が私の青春のハイライトです。
20代の後半には鬱病を経験しました。仕事のプレッシャーや責任を抱え込みすぎ、精神のバランスを崩した結果です。長い休職の後に退職し、無職で途方に暮れた期間もあります。生気を失い社会復帰はおろか普通の生活もままならず、将来を悲観せざるを得ない暗黒の期間が数年続きました。
そして私はとある梨農園と知り合い、就職して働くことになりました。大切にしてくれる代表者にも恵まれ、経営改善で良い農園を一緒に作るという目標が生まれて少しずつ人生を立て直すことができました。経営改善の成果が出てくるようになった過程で、家族経営の農園を時代に合わせて改革していくこのプロセスが業界でまさに求められているものだと周囲から教えられました。
それから改善ノウハウを共有するメディアを作り、会社を立ち上げ、東奔西走しながら「農家の経営改善運動」を展開しています。『東大卒、農家の右腕になる。』(ダイヤモンド社)という著書を出版したところ、多くの方にご愛読いただき輪が広がりました。
業界で注目されるようになり、仕事はずっと引っ張りだこで鬱に苦しんでいた頃と比べると180度変わった自分の人生に驚いています。しかし、私の計算や努力でこうなったわけではありません。
「なぜこのような活動をしているのか」「モチベーションはどこにあるのか」と聞かれるたび、自らに深く刻まれている聖書の教えに思い至ります。困っている農業者を助けたいという思いは、私の人間的な欲から出るものではなく、隣人愛を基本とする聖書の価値観が私の行動原則となって働き方や活動方針が規定されているように感じます。
日々の判断の中で、聖書的な価値観にブレーキをかけられるように感じることもあります。知人や友人を見ていると、私も〝もしクリスチャンじゃなかったら〟自分の好き嫌いや欲求だけを根拠に自由に生きられたのではと想像するときもあります。自分の名誉のために行動し、後ろめたさを感じることなく贅沢を求めたかもしれません。
しかし〝もしクリスチャンじゃなかったら〟どうなっていたか見当もつきませんが、もっと悩みや矛盾の多い人生だったでしょう。信仰は損得で評価するものではありませんが、クリスチャンだからこそ、自分の人生を肯定し、自分自身を好きでいられることは実感しています。
注目していただくことの多い立場を与えられたからこそ、これからも世の人に仕えつつ、機会を活かして主の道を伝え広めていきたいと思います。