ITを活用したミニストリーへの一歩

中村恵久ITクリスチャンコミュニティー CALM 代表

私はCALMというITを活用したミニストリーの代表を務めています。私は牧師家庭に生まれ、幼少期から少しひねくれたところがあり、常に大人の顔色をうかがう変わった子どもでした。そんな私は神の存在を知りながらも素直になれず、どうしても自分のこととして受け入れることができませんでした。
中学生になり、父がパソコンを与えてくれたことをきっかけにインターネットの世界にのめり込みました。中学の教室だけの狭い世界ではなく、広大なインターネットの世界に触れ、毎日新しい刺激があり夢中になりました。深夜までインターネット掲示板で活躍している一周り以上年齢が離れたクリエイターたちと交流しているうちに昼夜逆転の生活を送るようになり、学校へ行けなくなってしまいました。
しかし、このような生活が半年ほど続く中で、ネットの世界にも陰口などの陰湿な世界があることを知りました。そして昼夜逆転生活もたたり、精神のバランスを崩して鬱っぽくなってしまったのです。自分が憧れていた大人たちが、中学の同級生とそんなに変わらない言動をしていることに対して幻滅しました。そして牧師の子どもとして教会のすぐ隣に住んでいるのに心が苦しくなって教会にも行けなくなってしまい、最終的には、生きる意味さえわからなくなり、学習机に「死にたい」と落書きしたのを母が見つけ、泣きながら消しゴムで消している様子を見ても、何の感情も動くことはなく、隣でその様子をただ見つめていました。それほどまでに追い込まれていたのです。そんなときに、何気なく本棚に置いてある聖書を手に取り、いくつかの箇所を読みました。初めて自分から聖書を読んでみようと思ったタイミングでした。そしてマタイの福音書 7章7節に書いてある「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます」とのみことばが、それまでとは違って見えたのです。私はそのとき初めて本気で神を尋ね求め、祈りました。不思議と、心が息を吹き返し、憑き物が取れたような感覚がありました。そこから生活が少しずつですが改善し、中学校に通い始めることができました。自ら祈り求めるようになり、福音に本当の意味で出会いました。紆余曲折ありましたが、今では福音に生かされる人生を歩んでいます。
福音を伝えるためには、どのような一歩が必要なのでしょうか。ローマ人への手紙10章13節には「主の御名を呼び求める者はみな救われる」とあります。救われるためには聖霊の働きが必要です。これは神様が働かれる領域であり、私たちがどうにかできる問題ではありません。ですが呼び求めるためには、福音を耳にする必要があります。この福音を宣べ伝えることが私が神様から与えられた任務というわけです。聖霊を呼び求めている状態で、正しい福音の情報が伝わるときに人は救われます。私たちは主にある共同体としてそれを共に味わい、分かち合う必要があるのではないでしょうか。
福音宣教におけるITの働きは、この情報のパートを担っています。ITを活用すれば、福音をより多くの人々に伝えることができます。神様がこの時代に与えてくださった技術は、適切に使われるべきだと私は考えています。これからも、誰かの一歩の歩みを、テクノロジーの面から支援していきたいと考えています。