神がすべてのことを働かせて益としてくださる

石田千恵子日本伝道隊 志度キリスト教会 牧師

私は未信者の家庭で生まれ育ちましたが、母がキリスト教に理解があり、近所で始まった教会学校に行かせてくれました。また当時はまだ珍しかったキリスト教の幼稚園に入れてくれました。こうしたことを通して私はキリスト教に対してとても良い思いをもつようになりました。そしてこれが後の私の救いに結びついていきました。私は小学生の頃より海外にたいへん興味をもっていました。中学生になり英語を習うと、海外の人々と文通をするようになりました。当時の私の夢は高校生になったらアメリカに交換留学生として行くことでした。そのために英語や異文化について学んで準備していました。しかし家庭の事情で進学できなくなってしまいました。これは私にとって一大事でした。ショックを受け、このときから両親との関係が悪くなってしまいました。それでも海外に行きたいという夢は捨てきれず、アメリカがだめならヨーロッパに行こうと思い、18歳の時にシベリア鉄道でヨーロッパに行きました。
日本を出て2年目、私はスウェーデンのストックホルムに住んでいました。ある日、町で日本人の女性に出会いました。この方に誘われて初めて教会に行きました。子どもの頃に教会学校やキリスト教の幼稚園に行っていたので何の抵抗もありませんでした。初めてクリスチャンに出会い感じたことは、この人たちは何か私が持っていないものを持っているということでした。それが知りたいと思い教会に行くようになりました。それからしばらくして、もうすぐ日本に行くというスウェーデン人の宣教師を紹介され、その先生がわかりやすく絵を描いてイエス様の十字架の話をしてくださいました。私はイエス様が救い主であるということを心から信じることができ救われました。クリスチャンになり生きる目的もわかり、主に仕える喜びも与えられ感謝な日々を送っていました。この頃、私はそろそろ日本に帰ろうかと考えていました。しかし主は創世記12章1節「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」(新改訳 第3版)と語り、献身して神学校に行くよう示してくださいました。そして私を導いてくださった宣教師が学んだフランスのパリの郊外にある神学校で3年間学ばせていただきました。卒業後、ロンドンで引退した宣教師を助けて日本人伝道をしていました。ロンドンの日本人は福音に心を広く開いていました。集会には多くの人が集まりました。主が働かれ、多くの人が救われました。
8年後に日本に帰ってきました。関西聖書神学校で1年間学び、その後、四国に遣わされました。香川県、徳島県にある4つの教会で牧会、伝道をさせていただきました。徳島県では山奥の過疎の町でした。トラクト配布に行くのですがポツンと一軒家という家がけっこうありました。こんな所にも人が住んでいるのだとびっくりしました。そうした家に福音を届けることができてほっとしたことが忘れられません。現在遣わされている所は大学もある中規模の町です。四国に遣わされて今年で50年になります。そろそろ引退を考えていたのですがヨシュア記13章1節「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき土地がたくさん残っている」と語られました。まだ使命が残っているようです。