種をまくための畑を耕す

田島 実神の家族主イエス・キリスト教会 牧師牧師

「福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です」(ローマ1:16)。私は21年前に召されて牧師になりました。決して話が上手ではありませんし、特別な訓練を受けたわけでもありませんが、このみことばを信じて牧会と宣教を始めました。
しかし、現実は簡単ではありませんでした。新来会者がほとんどいないどころか、教会の敷居が高いようで礼拝堂にすら入れない方々を見てきました。これでは、福音を語る機会さえもないと気づいたのです。そこで、「どうしたら礼拝堂に入ってもらえるだろう」と考え、まずバザーなどのイベントを開催することにしました。すごく単純な発想ですが、無知ゆえに大胆にできたのだと思います。
イベントを開催するたびに、いろいろな発見と工夫がなされました。これは当教会だけのことかもしれませんが、イベントで福音を語らないほうが礼拝に導かれ、信仰に導かれるのです。教会と地域との関係性がこれほど大事なのかと思わされました。そして、教会の場所について、電話での問い合わせがなくなりました。イベントに関心を持って、真剣に地図を見てくださるのです。
無料のイベントを開催したときは教会員の友達しか来ませんでした。まさに「ただより高いものはない」といぶかるようです。安くても価格をつけたほうがより多くの人が集まります。たとえば、かき氷を1杯50円にするだけで、その安さに興味を持ってくれます。イベントの収支はとんとんで、利益が出たときは福祉的目的の寄付をします。イベント登録シートを配布すると、参加者の2~3割ほどが名簿への登録を希望します。登録者には次のイベントの案内を送るようにしています。
そして、クリスマスやイースターのイベントのときは、福音を語ります。そこで語られた福音を信じる人もいますが、イベントの翌日曜日に変化なしというのがほとんどです。これを続けると、意気消沈してしまいます。毎回「必ず芽が出る時が来る。5年後、10年後、50年後、何か困ったことや悩みがある時に、教会を訪ねてくれると信じましょう。私たちの教会でなくても、どこかの教会に導かれるよう祈りましょう」と、教会員を励ましています。
私たちは、このような働きを「耕し」と呼んでいます。種がまかれやすい、まかれて芽が出やすい状態を整えることです。福音が届くための準備です。
しかし、コロナ禍になって、このようなことができなくなりました。コロナの流行が一段落してから再開しましたが、この耕しについて考え直す機会となりました。すなわち、教会へ招くことへの限界です。
そこで、福音宣教の本質は何だろうと考えさせられました。その答えの一つとして、個々人が遣わされるということです。偶然にも昨年、Prayer Walkingについて海外の方から3回語られ、今年から教会員で地域を祈りながら歩くことを始めています。まずは月に1回、一つの町を周りながら祈ることにしました。20分もあれば祈り回れます。小さなことのようですが、この地域に遣わされた私たちの初めの一歩であり、これこそが大きな耕しだと信じています。