みんな、自分たち、私

水谷 潔春日井聖書教会 協力牧師

ある日、ラジオ番組で紹介されたことばは、私にとって目からウロコでした。それは、「みんなのテレビ、おれたちのネット、わたしのラジオ」というフレーズ。メディアとユーザーの関係性を見事に言い当てていると思うのです。言い換えれば、「受動的な人々を含む不特定多数」「積極的な姿勢の共通項をもつ人々」「個人的なニーズを満たそうとする方々」となるでしょうか。
私は、ラジオ放送でみことばを語る機会をいただいていますが、「ラジオの前の一人に向けて語るように」とのアドバイスを受けています。リスナーは数十万人でも、一人を思い描いて語るように心掛けています。それが心に届く語りかけとなるのでしょう。
福音書を読むと、イエス様も、多くの群衆に、弟子たち限定で、個人的に語りかけておられます。また、「みんな、自分たち、私」という対象別に、異なる語りかけをしておられるように思います。このことを文書伝道に当てはめるなら、「みんなの聖書、自分たちの信仰書、私のトラクト」となるでしょうか。聖書自身も「みんなへの啓示、自分たちの礼拝説教、私のディボーション」という3つの異なる語りかけをもつとも言えるでしょう。
2年以上前のことです。未信者で一人暮らしをする90歳の母が、「教会に行ってもいいよ」と言ってくれました。早速、母が徒歩で行ける近くの教会の牧師とお会いして、母のことをお願いしました。その後、母は雨の日を除けば、ほぼ毎週礼拝に集いました。感謝なことに、初心者にもわかるメッセージをしてくださる女性牧師で、母も信頼を深めてゆきました。
一方で、「子どもから親への伝道は難しい」と聞いていましたが、そのとおりでした。その時、役立ったのは、出版物でした。初心者向けの書物やトラクトを母は読んでくれ、素直に受け止められることと、疑問に感じることの両方を伝えてくれたのです。
約2年間の忠実な礼拝出席を経て、母は2023年のクリスマス前に受洗の恵みにあずかりました。最終的に母を決断に導いたのは、牧師からの「一緒にパンを食べたいです」との語りかけでした。共に聖餐の恵みにあずかりましょうとの信仰共同体への招きのことばだったのです。それは、永遠のいのちや無条件の愛や罪の赦しを切り口に、福音を伝えてきた私にとっては、予想外でした。しかし、その時の母にとっては、それが最善の語りかけだったのでしょう。
母の救いを振り返って思うのです。神様は、さまざまな方法を用いて「みんな、自分たち、私」という対象別に、多様な語りかけをしてくださっているのだと。ともすれば、私たちは、多様な語りかけを限定してしまい、救霊のわざを自ら妨げているのかもしれません。
時に、神様の方法は私たちの想定外です。メディアの飛躍的な発展もあり、今は、さまざまな伝道の試みがあり、対象別に多様な語りかけがあります。まずは、固定観念を捨てて、その豊かさに触れてみましょう。そして、よいものに出会えたら、それらを用いて、救いを願う方にふさわしく福音を伝えてゆきましょう。