イエス様のために生きる人生

近藤健二OM日本宣教師

私は三重県の、教会が存在しない田舎で生まれ育ち、習字はお寺、剣道は神社で神主から教わりました。そして10代の反抗期を機に水商売に入り、ホストクラブでも働いていました。そんな自分を変えたのは、20歳の時、単身でカナダにワーキングホリデーで行ったことでした。そこで初めて教会の礼拝に触れたのです。その後の4年間、カナダと日本で人生の挫折をとことん経験するなか、24歳の時にカナダにある日系人教会でイエス様を信じて洗礼を受け、人生が大きく変わりました。癒やしも体験しました。コリント人への手紙第二5章17節が自分のことのように感じられ、「俺の最初の人生は破滅に向かう一方のゴミ同然だった。だから今からの人生はイエス様のために生きよう」と決めました。
その後、私はウィクリフ聖書翻訳協会の宣教師として北米と東南アジアで16年間奉仕をしました。しかし2017年からは、私の地元である三重県での宣教に従事するためOM日本という団体に所属して外国人宣教師のチームと共に未伝地伝道に従事しています。私は過去に日本が嫌になり、「日本に帰らない」と決めてカナダに移り住んだ人間です。そんな自分が帰国し、故郷の三重県に再び住むなど思ってもいませんでした。ですので、主が私の方向転換に備えてくださった3つの出来事をお話しさせてください。
1つ目。アジアと太平洋にある多くの国でリバイバルの波を目にした際、祖国である日本では、内向きな課題への集中や、変化への対応不足が教会の発展や社会との関わりに影響を与えているように感じていました。その後、東日本大震災に見舞われた岩手県で、私は3週間、震災支援に関わりました。被災者(高齢者がほとんど)に関わって奉仕をするなかで、「日本に来ることを何年も後回しにしていたら、目の前にいる人たちはみんな亡くなってしまう。日本に来るなら今なんだ」と主から気づかされました。
2つ目は、父の洗礼・死・葬儀です。私は近藤家の中の初穂です。次に母が病気がきっかけで洗礼に至りました。しかし父親は戦国時代から続く本家の長男、向かいのお寺の寺世話の役職、また家の庭にある稲荷神社の世話もしていました。そんな父が洗礼に導かれ、親戚の同意を得て稲荷神社の廃棄、江戸時代から続くお寺の檀家からも抜けました。父は癌で亡くなりましたが、教会のない場所なので地元の公民館でキリスト教の葬儀を行いました。村内の各家庭から参列がある中、私はキリストの十字架の死、復活、救いを語りました。その後、村の人々の私たちに向けられる態度が良い方向に変わりました。
3つ目は、三重で伝道の働きに従事するために所属団体を変えることでした。16年間も一緒にやってきた団体を離れることが自分の中で恐れとなっていました。しかし主は、近隣の教会の牧師のことば、自分の大腸癌検診、大叔母の危篤状態での病床での救いなど、奇跡の3連発で私の宣教団体移籍を後押ししてくださいました。
現在は、三重県の未伝地伝道と教会協力の関係作りに携わっています。近年、地方の教会は過疎化や高齢化によって少人数化と無牧化が進んでいます。私たちの教会協力作りは、①牧師たちを愛し、②リーダーが祝福を受けることで会衆が祝福され、③教会が元気になり、宣教に対して外向きになるという方向性をもっており、宣教協力の一歩だと位置づけてやっています。どうか三重県も含め、人口200万人を切る地方の都道府県のためにお祈りください。