足の履き物を抜いで
子どものころ、家には神棚と仏壇があり、日々のお供えや神仏の行事をかかさない家で育ちました。初めてキリスト教にふれたのは中学一年の時。公立校でしたが担任の先生がクリスチャンで、ある朝クラスの生徒全員にギデオン協会の聖書を配られました。その先生は生徒たちと交換日記もしていて、「生きているのが疲れたなぁ」と書いたら呼び出され、聖句が書かれた栞をくださいました。またそのクラスで友人になった子が隣町の教会に集っており、一緒についていったのが初めての教会体験でした。その後、転居などで教会を離れていましたが、大学六年(医学部最終学年)のときにサークルの先輩が横浜の教会に通うようになり、洗礼を受けたと聞きびっくり。私もその教会に通うようになり、洗礼を受け、喜びの中で両親や同級生やサークルの仲間に伝道するようになりました。大学卒業後は、その教会のある横浜へ転居、就職して産婦人科勤務医としての生活が始まりました。
勤務医時代はとにかく忙しい日々でしたが、日曜礼拝を最優先にしました。患者さんに伝道して指導医に叱られることもありました。しかし、結婚、出産、保育園に子どもを預けながらの勤務で、いつしか熱心に福音を語ることができなくなっていきました。そんな目まぐるしい生活に親の介護が加わってきたころ、新しい道が開かれました。ある日の夕方、仕事が終わったときに某社の方から面会の申し出があり、断っても二回、三回と面会を申し込みに来られたのです。もしかして主からの語りかけかも? 思い切ってお会いしてみると、新規開業への打診でした。まもなく日曜礼拝で「向こう岸へ渡ろう」というメッセージが語られ、自分が勤務している建物から大通りをはさんだ向かい側にある建物(今の診療所)を見ている状況が目に浮かび、あそこに行くんだという確信が与えられました。数年前から開業を心の中で祈っていましたが、当時は非常に産婦人科医師が不足していましたので、病院を退職するのは夢のまた夢。その中で上司や同僚の理解を得てスムーズに開業へ向かうことができたのは奇跡的なことでした。
「愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります」(Ⅲヨハネ2節)これが開業したクリニックのテーマのみことばです。待合室に賛美が流れ、みことばカードや信仰書を置き、クリニックに入ってきた人々が主の園のような霊の空気を感じてくださるように願っています。毎朝のスタッフミーティングでイエス様がクリニックの主であることを宣言し、クリニックから神様の愛と恵みが流れていくように祈ります。また教会の兄姉とともに、主が日本の医療を捉えてくださり、医療を通して人々が癒やされ救われるように、クリスチャン医療従事者が増えていくように、そして癒やし主であり救い主であるイエス様の御名があがめられるようにと祈っています。
所属教会では現在、小グループのリーダーを務めており、牧師先生のご指導を受けつつ、メンバーとともに週ごとに集まって祈りとみことばの時をもち、互いに励まし合いながら、伝道と信仰成長を目指しています。朝ごとにクリニックに入り、足の履き物を脱いで主に全権をお委ねし、祈りをもって一日を始めること、これが今の「福音を伝える私の一歩」です。