「この救いを賛美で伝えたい」そう決意して30年
30周年記念アルバム「新しい明日へ」
「お母さん、私また神様に会えるのね!」
これは、10歳の時に私が母に答えた言葉です。キリスト教主義の幼稚園に通っていて、毎日お祈りや聖書のお話を聴いていましたが、公立の小学校に行くようになると、そうした機会がなく、夜寝る前に一人でお祈りを続けていました。
小学4年生の時に、近所に宣教師ご夫妻が引っ越してこられ、英語の先生だった母は、そのご夫妻と親しくなりました。母は何度もお宅へ行くようになりましたが、ある時「ミセスモリ、我が家でなく、教会に来られませんか」と誘われたのです。教会へ行ったことのなかった母は、無下に断ることもできず、「祐理、お母さんの代わりに教会へ行ってみない?」と私に声をかけました。その時の返事が冒頭の言葉です。私は喜んでその翌週から弟2人の手を引いて、教会学校へ通うようになりました。
歌が大好きだった私は、毎週賛美できるのがうれしくて、日曜日が待ち遠しかったです。イエス様も大好きでしたので、学校のお弁当の時間に「みんな、お祈りしよう!」と友達を誘うほどでした。それから10年以上たった時、中学時代の同級生からお手紙をもらいました。
「ご無沙汰しています。お昼の時間に、お祈りしようと誘っていた姿に、変わった子だなと思っていました。でも大人になって一番つらかった時に、その言葉が不思議に思い出されて、教会に行き、洗礼を受けたのです。あの言葉のおかげです」
小さなひと言が種となって心に蒔かれ、思いもしない時に実を結ぶのだと驚きました。
まっすぐにイエス様を信じて子ども時代を過ごした私でしたが、大人になるにつれ、自分の夢が第一優先になったのです。NHKの番組に出演し、劇団に入ってレッスンに明け暮れました。そんな頃、ある舞台の主役に選ばれたのですが、突然声が出なくなってしまったのです。友人が私に代わり主役となったことが悔しくて、許せない自分の姿に、初めてイエス様の十字架の血潮という“心の石鹸”が私にこそ必要なのだと気づかされました。「イエス様、私を聖めてください」。そう祈った時、イエス様は単なる「大好きな方」ではなく、いのちを与えてくださる救い主となりました。
「この救いを伝えたい」。そう祈り続ける中、NHK聖書研究会のメンバーより、ご自身の教会でコンサートをしてほしいとの依頼があったのです。人生初のチャペルコンサートで歌いだした瞬間、「私はこの働きで生きていくんだ!」との熱い想いがあふれてきたことは今も忘れられません。それ以来、国内外でのコンサート、セミナーやラジオ番組…、与えられたすべての機会で、ひたすらにイエス様の愛を歌い続けてまいりました。
そして気がつくと、今年で30年の節目を迎えました。その間には、震災で弟を失うという悲しみも通りましたが、それゆえに家族みんなが救われ、また多くの方が主と出会われるきっかけとなったのです。どんなに苦しいことも、振り返るとすべては輝くような恵みの数々だったと心から思えます。これからも、 この地上での命がゆるされる限り、主の愛を賛美して伝えていきたい、それが私の願いです。